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サッカード素人がSC相模原のJ2初勝利を見て泣いた話。

3月21日18時前、暴風雨が吹き荒れる相模原ギオンスタジアム。
僕は、少し前までほとんど知らなかった地元クラブ、SC相模原の勝利を見て、泣いていた。


話は1ヶ月前に遡る。

あのDeNAが今季J2に昇格したSC相模原のトップスポンサーになるというニュースが、地元を駆け巡った。

もしかしたら、地元・相模原にこれから凄いことが起きるかもしれない。記事を読んだとき、瞬間的にそう思った。


SC相模原、正直あまり知らなかった。
もちろん、地元にあるクラブでどうやらJ2になったらしいくらいの知識はあるものの、選手も元代表の稲本潤一がいるくらいしか知らなかった。

学生の頃、選手たちが最寄り駅前で募金箱を持って並び、何かの募金を呼び掛けていたが、人が立ち止まる様子は無かったことを覚えている。

そもそも、僕はサッカーには全く明るくない。
時の代表選手の苗字が数名分かる程度のもので、Jリーグなど、終盤の大一番を年に1試合見るか見ないかという全くのサッカー音痴でここまで育ってきた。
サポーターの熱いクラブの応援動画を少し見て回るくらいで、J2になってしまうと、もはやクラブ名すらあやふやだったりする。


けれど、あの横浜ベイスターズをあっという間に人気球団にしたDeNAならば知っている。
ハマスタから数十km離れている相模原でも、小学生の頃いた子どものYG帽やHT帽は、あっという間に真っ青の帽子に駆逐された。

DeNAは最近では、Bリーグの川崎ブレイブサンダースの運営会社にもなっている。

野球の横浜、
バスケの川崎、
そして、サッカーの相模原。

全国唯一3つの政令指定都市を持つ神奈川県のその3市で、DeNAは別競技のプロスポーツチームを持つこととなった。
もちろん、相模原は他の2チームに比べるとまだまだ圧倒的に小粒なのだけれども。

これはもう見に行くしかないと強く感じた。
DeNA参画の報道から3日後の2月28日、僕は売り切れ状態から辛うじて復活していた開幕戦のチケットを何とか購入し、家から自転車で相模原ギオンスタジアム(通称ギオンス)に向かった。

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J2初戦となった京都サンガ戦は、呆気なく0-2で負けた。
ただ、スタジアムの温和な雰囲気や、まだまだ伸び代のある場内演出、意外にもどれもかなり美味しいスタグルと、そこそこ惹き付けられていた。

試合後にSC相模原オフィシャルイヤーズブックを買い、選手を半分くらい覚えた。


翌週の3月7日もギオンスに向かいザスパクサツ群馬戦を見に行った。

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初戦と比べると、だいぶスタンドも殺風景になっていた。スコアも0-0(クリーンシートというらしい。覚えた)と物悲しかったが、20本以上のシュートを浴びながらも完封した守備は見応えがあった。

翌週3/14の第3節はアウェーの岡山戦、出先でDAZN(相模原戦が気になって入ってしまった)で少し見たが、また0-0だった。



そして迎えた3月21日。
J2第4節、大宮アルディージャ戦。
僕でも昔から知っているクラブだ。人生で初めて、オレンジ色のチーム相手に緑のチームを応援することになった。

だが、ギオンスに来てまず一番に思ったのは、
「えっ。これやるの?」
だった。

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暴風雨でまともに前を見て歩くことすら出来ず、ピッチも時折雨で霞むような状況。

観客は727人。まあそりゃそうだよなと思った。
普通、こんな天気で人間は外でじっとスポーツを見ない。

スタメン発表前には、写真左下のベンチが風に煽られて凄いスピードで転がっていったりするなど、普通に命の危険を感じた。

僕のよく知るプロ野球では、まずまず家を出る前に中止が宣告されているレベルの天候だった。球蹴り観戦恐るべし。

レインコートをかぶって濡れてもいい格好で来たはいいものの、スタンドに入る前からずぶ濡れで、なかなかにしんどかった。
試合が終わってからすぐSC相模原のオンラインストアで緑のポンチョを注文したレベルでトラウマ。


試合は、前半に大宮に1点を許し、それを追いかける展開となった。

有名クラブ相手に前半での失点、おまけにこちらはJ2唯一の3戦ノーゴール。どうしても気落ちはしてしまった。

けれど、観戦3回目ともなると、意外と分かってくることも多かった。

まず、ギオンスではホーム側の南から北にかけて、かなりの風が吹く。
1,2節では、前半を風上の南で戦い、後半は風下の北でひたすら耐える展開となっていた。風速は千葉マリン同様の7mとかそのレベルなので、風下からの高く上がるゴールキックやクリアボールは尽く自陣に舞い戻ってくる。

しかし、今回は前半風下スタートだったことで、明確に前半を耐えればいいのだと分かってきた。

オーダーでも、これまでの守備の要の#7清原と最終ラインを統率していた#5梅井が抜けており、サイドから攻め込まれるシチュエーションが増えそうだと思っていたら、案の定な攻められ方をしていたり、サッカーの楽しみ方が何となく分かってきた気がする。

守備が難しくなった分、ブラジリアンストライカーの#9ユーリと#10ホムロを今季初めてツートップに据え、それまで全節FWで出場していた#23平松を1つ下げ、ど真ん中には唯一僕が元々知っていた#6稲本を半年ぶりに起用した超攻撃的オーダーになっていた。
開幕3戦ノーゴールを受け、ゴールに飢えているのがよく分かる布陣だった。

前半から大宮ゴールを脅かすシーンはそこそこ見れていた。ただ、どうにもうまくハマらない。
そんな時間が刻々と過ぎていき、淡い期待も萎みかけ暴風雨にも耐えていた頃、奇跡のような時間が訪れた。


88分、途中出場した#4藤本のコーナーキックのこぼれ球を#23平松が沈めて、SC相模原のJ2初ゴールを決めた。

ゴールネットが揺れた瞬間、飛び上がって叫んでしまった。
あの大宮から、地元のクラブが、ゴールを奪ってしまった。
僕らは、相模原は、やれるんだと強く感じられた。

気付いたら、殺風景だと思っていた700人余りのスタンドに、熱気が宿っていた。
皆立ち上がって両手を挙げ、あらん限りに手を叩いていた。

僕も夢中で手を叩いていた。すごく純粋に、1ヶ月前までろくに知りもしなかったチームを応援していた。

そこからは怒涛の展開だった。
自陣でボールを奪取しただけで歓声が上がり(割とスタンドに制御不能感が出てた)、一気に囃し立てる手拍子が大きくなっていった。

相模原のクリアボールが嘘のように風に乗り、枠内をかすめて相手キーパーを焦らせてコーナーキックを獲得したりと、説明し難い神風が相模原に吹いていた。

そして93分、J2初ゴールから僅か5分後。
#9ユーリが右サイドから溜めて出した今日一番のパスが#4藤本に通り、DFを躱して振り抜いた左足から放たれたボールが、もう一度、ネットを揺らした。

正直もう意味が分からなかった。
再び飛び上がってしまったが、今度は感動で声が出なかった。

逆転弾を決めた藤本がバックスタンド下のジュニアチームの子どもたちを呼び寄せ、皆で抱き合っていた。
ベンチの監督はじめチームスタッフも皆喜び飛び跳ねていた。

スタンドはもはや、727人しか観客がいないことを感じさせない、凄まじい一体感だった。

僕の周りの観客は皆泣いていたと思う。
もう雨なのか涙なのかも分からない。立ち上がって、試合終了の笛が鳴るまで皆でくしゃくしゃな顔で手を叩く。

全身が震えていた。きっと、打たれ続けた雨のせいではない。


そして笛が鳴った。

スタンドは総立ちだった。
緑のユニフォームを着た選手達が、両手を挙げて、或いはその場に崩れて、或いは近くの誰かに駆け寄っていた。
ベンチでは、黒いベンチコートのチームスタッフが輪になって飛び跳ねていた。
メインスタンド下のアップエリアから控え選手が次々と飛び跳ねながら駆け出してきた。

拍手が鳴り止まなかった。

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この殺風景な写真に、どれほどの興奮と幸福が漂っていたか、形容し難いものがある。


スタンドに挨拶をしてくれた選手たちの晴れ晴れとした顔も最高だった。
最前列で見ていたので、手を振ったら皆思い思いに返してくれた。

藤本がヒーローインタビューで、
「ネットで相模原だけまだノーゴールと書かれていて悔しかったので」と言ったときに、興奮冷めやらぬスタンドが、またわっと沸いた。やっぱり皆同じ気持ちだった。


帰りのコンコースを歩いてる時の、まだ熱が取れきっていない感じが心地よかった。
ゲートではスーツを着たクラブ職員の人が、満面の笑みを浮かべながら
「ご来場ありがとうございました」
と僕たちに頭を下げていた。

あんなに嬉しそうに頭を低く下げる人を人生で初めて見た。
観客も嬉しくて、ありがとうございましたとか、良かったよとか、口々に伝えていて、職員の人に会釈をしてスタンドを後にしていた。


僕はどこかのサッカーチームを応援しているのではなくて、SC相模原という概念を応援しているのだと、スタジアムを出た時に気付いた。

今まで、地元でこんなに応援できるクラブがあるなんて、思いもしなかった。
プロスポーツとは、電車を乗り継いで、あるいは車で高速に乗って東京や他の地方都市に見に行くものだと思っていた。


相模原には、リニア中央新幹線の停車駅ができる。そして、そこから2kmほどの相模原駅前には3万人規模の新スタジアム建設構想がある。

僕もこの構想の実現運動に署名している。既に10万筆を超える署名が集まり、相模原市長に手渡されたという。


リニア、新スタジアム。
これから変わっていく相模原の旗印はきっと、SC相模原に他ならない。

相模原の地で、何もない状態から一から作り上げられたクラブが、13年の時を経て、ついにJ2で勝った。

昨日のJ2初勝利のあの歓喜は何かをやりきったときの喜びではなかった。

まだ地元・相模原にプロスポーツがなかった小さい頃には想像もしなかった熱気と興奮が、今は確かに宿っている。

これから何かが始まる。
その大いなる期待を込めた歴史が書かれる、その瞬間に立ち会えたこと。
そして、きっとこれからも一緒にこの街で歩んでゆける、そんな未来に向けた始まりの歓喜だった。

共に育つクラブ。
僕の地元・相模原には、そんなワクワクが詰まったクラブ、SC相模原がある。


2021年3月21日、僕の地元観を変えてくれた、最高の一日だった。

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