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「ロダン早乙女の事件簿 FIRST・CONTACT」 第二十一話

 伊藤さんが慌てて、先生、ここではと言い右腕を引っ張られた。
 
 ああっと声が出てしまった。
「いえいえ、琢磨さんがというわけではなく、琢磨さんが二朗さんの持分全部を相続されたという公正証書遺言の件でお伺いしたいと思いまして。」

 名子さんは、少し気持ちが高ぶった感じで、
「もしかするとその件に私が何か関係していると、勘繰って尋ねて来られたのですか。」と聞かれた。

 いいえ違いますというと、まあ確かに琢磨さんはいわくつきの人ですからねと言われ、社長に就任されたのでご挨拶に来られただけですと話された。

「あっあ、そうでしたか。」

 琢磨さんの話ばかりに気を取られているようだったので牧野弁護士からは情報は来ていないだと思った。しかし、私が探りに入っていることはわかっているようで、娘からも私のことを聞いていることから他にも情報を集めているようだった。

「続けてもよろしいでしょうか。」

「はい、どうぞ。」

「顧問弁護士の牧野先生からお聞きしたのですが、御社に会社を譲渡されるらしいと。」

「会社の譲渡ではなく、傘下に入るようですね。部下から報告を受けております。」

 否定はしないのか。それに胡麻化そうともしていない。牧野弁護士とは雲泥の差に見えた。牧野弁護士はどこか後ろめたさがあらわれていたが、この人はどのような関わりをしているのだろうか。

「そうでしたね。グループ化でしたね。」

「ただ、営業部が主になって動いていますので詳しくは知らないのですが。」

「何か明子さんから相談を受けていませんか。」

「ええ、ありましたよ。しかし、その時は詳細を知らなかったもので大丈夫ですよとだけ言ったので心配されたのでしょうか。グループ化の進捗状況については最近聞いたもので。明子さんには、その話はまだだったかもしれませんね。」

「そうですか。」

「どうして、私にグループ化の詳細をお聞きになるのですか。」

「いや、専務が先頭に立っておられるのかと思ったもので。ですから、みなさんが御社の傘下に入れば従業員や役員はどうなるのかと心配されていました。だから、明子さんから相談があったのかと。」

「確かに心配されるのは分かりますね。ただ、合併ではないので心配は入り
ません。詳細は秘密保持の関係からこの場では言えませんが、琢磨さんに相談して話してもいいか頼んでみましょう。」

「宜しくお願いします。」

「他にご質問はありませんか。」

「いえ。会社の行く末を心配されていたことだけをお伝えしたくて来ただけですので。」

「私からも話しますが、そんな心配はいらないと伝えて下さい。」

 立ち去ろうとソフアから立ち上がったが、
「あっそうだ。あと二つだけ、お聞きしても宜しいでしょうか。」と聞いた。
 なんでしょうと言われ、二つともお答えできるかどうかは分かりませんができる範囲でと言われた。たいしたことではありませんのでと答え、話し始めた。

 右手の人差し指を立てて、
「一つ目は、お亡くなりになられた二朗さんから何かご相談はありませんでしたか。」

「ありませんね。二朗さんとはすごく親しいというほどではありませんので。それに、建設業の行事でお会いした時に話をする程度ですから。」

そうですかと言ったあと、人差し指と中指をたてて、
「分かりました。二つ目ですが、遺言書が二つあったことはお聞きですか。」

「二つとは。」

「自筆の遺言書がありまして。」

「え、そうですか。でも公正証書の方が優先ですよね。」

 ロダンになる寸前で伊藤さんから小突かれた。ロダンになりかけたことに気がついたようだ。

「そういう訳ではないのですが、作成された時期の後先(あとさき)の問題で、公正証書遺言の方が後なので優先されるだけです。」

「あっ、そうですか。それじゃ、やはり琢磨さんが相続していることに間違いはないのですね。」

「今の段階ではそのようになりますね。」

「今の段階ってどういうことでしょうか。」

 そうか、まだ、仮処分の申請が受理されて間(ま)がないから、牧野弁護士から連絡が入っていないのか。一応こちらの言う通りにしているのだな。 

 では、なんとかやり過ごさないと。
「いいえ。そういう訳ではなく、御社の傘下になって自分の雇用関係などがどうなるか、みなさん不安で仕方がないようでした。だから、琢磨さんに再考してもらえるようであればと思っているようです。」

「そうでしたか。先程から言っておりますが心配は入りませんよとお伝え下さい。あくまでも現状のままでグループ化するという覚書を結んでいると聞いておりますので。」

 詳細は知らないと言いながら覚書の存在も知っているではないか。

「そこまでASAKURA建設の事をお考えいただいているのであれば安心ですね。みなさんにそのように伝えておきます。」

 伊藤さんと目があった。また、ロダンになりかけていたのだ。私にはこの名子さんが深く関わっているとは思えなかった。だから、これ以上いると何かを勘ぐられてもこまるので引き上げることにした。

「それでは、この辺でお暇(いとま)させて頂きます。今日は、お時間いただきありがとうございました。」

「いえいえ。先生でしたらいつでもお越し下さい。家に帰って娘に自慢ができます。今日も帰ったら早乙女先生とお話ししたと言ってやります。ははは。」

「恐縮です。では、失礼致します。」

 再び立ち上がり、頭を下げドアを出た。エレベーターまで松宮さんが送ってくれた。一階の受付で入館証を渡し玄関をあとにした。
 
 二人は、駅まで歩くあいだ、名子専務はなんか狸親父っぽいですねと伊藤さんが言った。

「そうかなあ。大したことは知らないと思ったな。」

「どうしてですか。」

「いや。公正証書遺言の作成で指導や色々な策略を伝授したのなら、これほど足跡を残すことはしないような気がする。」

「それはどの辺ですか。」

「遺言執行人としての牧野弁護士への依頼だけど、関わりがないようにするために、自分では行かず琢磨さんに行かせたと思う。だけど自分で頼みに行っているからね。」

「そうですね。」

「何か、うしろめたいことがあるのならこのような分かりやすい足跡は残さないと思うからね。」

「すると、名子さんは除外ですか。大内堀ではなかっただけでも大収穫でしたね。」

 いつになく元気な伊藤さんであった。私たちは途中、お蕎麦屋さんに入ってお昼を頂いた。二人とも、ざる蕎麦を頼んだ。

「先生。観察しているわけではないのですが、先生のざる蕎麦の食べ方って江戸っ子らしくないですね。」

「どうして。」

「いえ。以前聞いたことがあって、江戸っ子って、ざる蕎麦を食べる時は少しだけツユにつけると聞いていたので。」

「確か、そんなことを言った噺家(はなしか)さんがいたって聞いたことがあるよ。最後にはつけるだけつけて食べたかったって言ったとか言わなかったとか。」

「そうです、そうです。多分、私もそれを聞いたのかも。」

「あれは、江戸っ子って、こうあるべきだっていう都市伝説じゃないのかな。ツユにつけた蕎麦がこの上なく美味しいと私は思っているよ。だから、江戸っ子のみんながそんな食べ方とは思えないけれど。」

「確かに当時は、百万人都市と言われましたからね。」

 食べ終わって、
「江戸の話はこの辺にして大学に戻ろうか。」

「はい。」

 お蕎麦屋さんを出て駅まで歩いて行った。
 心地いい爽やかな笑顔がそこにあった。二人は次のステップへ進むことになった。

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