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出会ったきっかけ

過去の家庭環境や学校教育の中で形成された「わたし」というものは、何事にも正解を求める人でした。

間違ってはいけない、こうであるべきという固定観念に縛られてずっと生きていました。だから世界がものすごく窮屈で、追い詰める性格も重なって時には呼吸も浅くなったりして生きるということ自体がしんどかったです。

 また失敗が怖いので、様々なことに挑戦しませんでした。石橋を叩いても結局は未知の世界が、そして他人からの批判や目線が怖くて、渡らないのです。安全だと分かっている領域の往復と今までやってきたことの上塗りしかできませんでした。やっても全く死なないのことなのに。

コミュニケーションを取るときにも、相手の顔色を窺いながら話すので(忖度祭りです…笑)、とても疲れるために早く一人になりたいと切実に思っていました。相手に好かれようとばかり思っていたので、相手がしてほしそうな行動をとるのが常態化していました。

なので、日常の中で自分の気持ちや考えを臆することなく表現している人をみるととても羨ましかったですし、なぜそんな風にできるのか理解できませんでした。

そもそも自分の気持ちが曖昧で表現しようにも、わたしは何をするのが好きでどんな人間かが分からなかったのです。

 進路の選択も、幼いころの刷り込みだと記憶をたどって気付いてしまって、また、思考の扉を閉ざして向き合ってこなかった自分の責任もあるという葛藤と苛立ちで、勉強も身が入りませんでした。

何のために、自分はこの世界のこの時代のこの場所に生まれるようになったのか

虚無感を抱えた日々を、こんなものだと自分を誤魔化し慰めながら、漫然と過ごしていました。 

 自己肯定感も低く、例えば美味しいものを友人と食べて一時的に楽しい気持ちになっても、根本的に自分が存在してよかったのかという問いが私の中にずっとくすぶっていたので、生きることの足場が不安定でした。

そんなだからうまくいかないことがあると、それが些細なことだったとしても、自分は人にこんなに迷惑をかけてしまうダメ人間なんだ、何で自分だけ、死にたいetc 自分に言い聞かせるように思う癖がついていました。

そして結局うつ病になりました。

 でも、この性格をどうしても変えたい!社会人になる前に変えなければ、本当にどうにかなってしまうと思って、セミナーや勉強会に参加したり、自己啓発本などを読み漁りました。

聞いたり、書いてあることを色々試しましたが、テクニックだけあって一時的には解決してもどれも根本的な解決法を示してくれるものはありませんでした。

 日々悶々とする中、聖書を学ぶということに出会いました。

それが私の人生を根本から変えるものだとは思いもよりませんでしたが。

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