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アイ アム エブリシング

LITTLE RICHARD : I Am Everything

なぜ今、彼の映画?と
ちょっと不思議だった。

見始めて、、そうか、
クィアか、と。

クィアと言う言葉すらも最近知るようになったが。

昨今、LGBTQを扱うドラマや映画がどんどん制作され、映画賞にもがんがん登場してくる。

女性問題、人種問題、そしてクィアがテーマ、と、どんどん生まれてるのだが、その中でもアメリカで生まれている映画は、そのテーマを見ろ考えろ!と、見る側に圧がかかってるような気すらする時もある。

とはいうものの、今回の映画はとても興味深く、リトル・リチャードが若い頃にいたコミュニティの様子や、それでもその中で、外で、彼が孤軍奮闘し続けてきたであろう姿が語られている。

1960年代前半にリトル・リチャードがイギリスでツアーをした時期の様子も語られるのだけれど、もう少しその辺り知りたかったなあ、と。当時の演奏映像とかインタビューの録音物とか、BBCが持っているものがありそうな気がするけど。

当時、リトル・リチャードがイギリスに渡りコンサートをしていた。
インターネットのない時代は、音楽や街のカルチャーに対してアンテナを張っていた地元の若い人たちは、きっと彼らのコンサート会場へ出向いて現場で直に彼の音楽や彼のスタイルに触れていたであろうと思うと、当時のイギリスのロックやユースカルチャーに影響を与えたのだろうな、と勝手にモアモアと想像したら、ゾワゾワした。
やはり歴史を紐解くのは面白いなあと。

まあ、そこを深掘りするような映画でもないので、これは他の機会にどこかで細かく語られるのかもしれない。

ーー

私の子供の頃、母が経営していた喫茶店に、近くに住んでいるゲイコミュニティの人たちが出入りしていた。

子供だった私は彼らの雰囲気も特段気にもせず、おねえ言葉も気にならず、普通に近所のお兄さんたち、と言う程度に普通に接していた。

ある時、その中の長髪の細身の綺麗なお兄さんが自殺をした。

その出来事のショックと周りの人たちの静けさが印象に残っている。

この映画を見て、その長髪の細身の綺麗な男の人のことを思い出した。

自分達のコミュニティはあるけれど、実社会の中では孤軍奮闘、行き場を失う。

そんな時、リトル・リチャードには宗教があり神がいた。
それは彼の両親が心優しい自分の子供のために、心が戻れるところをちゃんと教えてくれていて、あなたは貴方で大丈夫、と支えられてきたからかもかもしれないなあと。

私が子供の頃の出会った、長髪の細身の綺麗なお兄さんにも、孤軍奮闘しながらも、そんな風に戻れるベースが何処かにあればよかったのに、と。

そんなことを、ふと思った映画でした。

追記 ひさびさに大画面でミック社長を拝めて、きゃあ♡と、思わず画面をペタペタ触りたくなりました。
ミーハー万歳!

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