2019年10月30日「マイクロコミュニティ」という言葉を知りました

「ひと まち 結ぶ」というサイトの記事を読んで思ったこと

この記事と関係あるかどうかはわからないけど

私が育った所は
地域に根ざしたお店でした。

FBフレンドの中には僅かながらこの店のことを知ってくださる方がいるんだけど

阪神淡路の震災をきっかけにした
景気の落ち込み
店舗兼住宅の借家だったため
ほんの一瞬の落ち込みを取り戻すことが難しかった。
当時の私は店に出ていたのだけど、どこか店に縛られている感があり、自身で何も行動を起こすこともできず。

母の性格上
いきなりの閉店
そこでそれまでのネットワークを経ってしまった

今なら SNSなどがあり ネットワークも続けられて 何かの形にいかせたんじゃないかと思つたこともありました。

大学が多い街なので 年々 流入流出の激しい街の中で、近くにある大学の学生、院生、若いお医者さん 看護師さん ご近所在住のアーティスト、ご近所の自営業の方、お寺さん。警察のご厄介になるようなヤンキーもいたし、めちゃくちゃ立派な刺青をしていたであろう反社会勢力の方もいた。

小学生の頃からその店で育った私は いろんな生い立ちの人と表面的には出会ってきたからか、今でも さまざまな人と話をすことは苦でもないし嫌でもない。
人間だから少々 苦手だな ということはあっても まあ 大概の場合は そういうのは乗り越えてる。

外国人の常連も数多く、英語が全く堪能でない私が外人に対してあまり物怖じせず話しかけたりする コミュニケーションスキルを身につけたのも 母の店があったから。
これは今回のワールドカップラグビーというお祭りで 自分の楽しみ方を豊かにさせてくれてる。

誰でも出入りできる「サロン」のような場所が大事なんだろうなと思ってきたけど
この記事読んで 改めて場所があるって やっぱり大事だな と思いました。

できれば
その小さな地域で
格差もなく
扉を開けて入ってくる相手に対して 迎え入れるその店主に対して お互いにに苦手意識はあっても ちゃんと話しができる
受け入れる人を選ばない
そんな「サロン」のような場があれば、と思う

その地域に根ざす
その地域に刺さりこむように
場所を作り発信するスタイル

マイクロコミュニティとはよく言ったもんですね

でも、昔はそれが当たり前だったんじゃないかな とは 思うときもあります

ちなみに
母の店の常連のおじさんでラグビー好きが何人かいたことで 新日鉄釜石の試合をテレビで見て(見さされて)松尾選手の勇姿に憧れてラグビーが大好きになったのです。

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