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アメリカで出会った ぐるるな仲間たち 第3回

By やよい
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いまから30年以上も前のアメリカで、職業訓練校のESLに通った私は、世界各国から移民や難民としてやってきたクラスメイトたちと出会いました。

小さな教室で、少しだけ世界を知る①

 担任のジョージは離婚して再婚して3歳の息子が1人。「妻は看護師で家事も育児も分担制。僕は毎日へとへとだよ。帰宅途中で車を停めて目を閉じる20分だけが僕に与えられた安らぎの時間だ」など、ジョージの雑談からアメリカの夫婦や家族の姿を知ることも学びの一つであったと思います。日本ではまだ寿退社という言葉が生きていたころで、専業主婦の女性も多いと聞いたジョージは「いいなあ」とうらやましがっておりました。
 クラスでは課題も出ましたが多くの時間をフリートークで過ごし、同じ教室に集ったクラスメイトたちの背景をうかがい知ることになりました。お互い勉強中の拙い英語ですし、あくまでも自己申告ではありますが。

「応援」 ©️Flourish fumiko

 アンヘルはプエルトリコ出身でした。ヒスパニック系の人はほかのコースにも多く、昼休みの食堂ではときどき黒人との間でもめ事が起こって学生時代に観た「ウエストサイド物語」を思い起こさせました。「白人がいちばん上で次は自分たちだと、どちらも譲らない。差別が差別を生んで争いが起こる」というのがジョージの見解でした。ただし、アンヘルは争い事とは無縁な好青年。イラストを描くのが上手で自分で考えたキャラクターもいくつかあり、「いつかこれで食べていきたい」と夢を語っていました。
 音楽も好きで、「日本で流行っている歌が聴きたい」と言うので日本から持参したテープを持っていってクラスみんなで聴きました。サザンオールスターズやCHAGE and ASKA、松任谷由美、大滝詠一などで、もちろん歌詞の意味は彼らにはわかりませんが「どれもいい曲だ。本当に日本人が作ったのか?僕たちが聴いているのと変わらないじゃないか。世界中でヒットするぞ」と大好評。なかでもジョージが気に入ったのが、当時エナジードリンクのCMをきっかけに流行した「24時間働けますか?」と勇ましく歌った曲。そこで歌詞を訳すと「無理無理!これが日本の経済成長の秘訣ひけつか?僕には無理だ。家事をしてもアメリカ人がいい」と笑っていました。日本経済がまだ勢いを持っていた時代でした。

 「チャーリーと呼んでくれ」と自己紹介したカルロスはキューバから来たボートピープルで、日焼けした顔に刻まれたしわが年齢よりも年上に見せていました。13人でボートに乗ってアメリカを目指したものの、途中で一度引っくり返り到着したのは6人だったそうです。
 キューバでは、理由はわかりませんが毎週末に黒澤映画が上映されていたそうで、ほかに娯楽がないからみんな観にいくのだとか。チャーリーも同じ映画を何度も観ていてとても詳しく、時代劇に疎い私が知らない名場面を楽しそうに語ってくれました。すぐに女性を口説こうとする陽気な人でしたが、少しでもカストロの話題に触れると明るい顔が曇り「名前を口にするだけでも命が危ない」と「口にチャック」のジェスチャーをして、決して話そうとはしませんでした。

第4回につづく


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