アメリカで出会った ぐるるな仲間たち 第2回
By やよい
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(入学したESLで出会った世界各国からのクラスメイトたち。私が好意的に受け入れられたのは彼らが以前に出会った日本人の行いが、その一因のようでした。)
初めての日本人として②
ラオスから来たニッキーもそうでした。彼女はまだ英語がほとんど話せず発音の癖も強くて私には聞き取ることが難しく、ラオスから来たということもようやくわかったほどでしたが、どこかで日本人に親切にしてもらったことを一生懸命話そうとしてくれました。休み時間には隣のクラスの同郷の友人とよくおしゃべりをしており、音楽のようにも聞こえるラオ語の柔らかな響きが心地よく耳に入ってきたものです。ある日、ランチタイムに「食べろ、食べろ」と分けてくれた郷土の家庭料理はさつまいもの天ぷらそっくり。「おいしい。日本にも同じような料理があるよ」と言うとうれしそうに笑い、それからも何度もつくってきてくれたので、お返しに彼女の子どものために日本のお菓子を持っていくなど温かい交流が生まれました。
エチオピアで使われるアムハラ語の「こんにちは」にあたる「テナイストゥリン」の「テ」は英語にも日本語にもない発音です。舌を使ったこの特殊な発音の仕方を教えてくれたヨナスは静かな人で、クラスに入ってきたときもとても緊張して硬い表情をしていました。ところが私が日本人だと知った瞬間に一変。「会えてうれしい」と顔をほころばせました。聞けばヨナスが育った村には学校がなく、海外から先生が来て教会で勉強を教えていて、ある年にイギリスのケンブリッジ大学からひとりの日本人が数学を教えにやってきたそうです。「彼は、ほかの先生とは全然違った。偉そうにしないで優しく教えてくれて、村の人にもあいさつをしてくれて、誰にでも親切で、誰とでも話をしてくれた。みんな彼を大好きになったから、帰ってしまうときは本当に残念で村で大きなお別れ会を開いたんだ。そんなことは初めてだった。日本人は素晴らしい。尊敬している」と熱を込めて語っていました。
どの話も日本人としてうれしく思いつつ、同時に戸惑いを覚えました。私自身はそのような尊敬に値する人間ではないのに、世界のどこかでがんばっている、素晴らしい行いをする名もなき日本人のおかげで、好感を持たれ親切にしてもらっているわけです。私のせいでがっかりさせてはいけません。それだけでなく、私自身が誰かにとっての「初めての日本人」になるかもしれず、その誰かがいつかどこかで日本人に出会ったときに笑顔になるかしかめっ面になるかは、私にかかっているのかもしれないということに気づかされました。自分が日本人であることをこれほど強く意識したのは初めてでした。「特筆すべき素晴らしい行いはできないけれど、せめて謙虚さを忘れず、誰にでも親切にしよう」。そう思った若き日の私でした。
(第3回につづく)
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