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岩本 順子:大洪水に襲われたシュペートブルグンダーの理想郷 ドイツ・アール地方はいま

7月中旬、欧州中西部は記録的な豪雨により河川が氾濫し、未曾有の洪水災害に見舞われた。ドイツ国内では、ワイン産地が集中するラインラント・ファルツ州の被害が甚大だった。

アール地方を直撃した大洪水

とりわけ7月14日から15日にかけての大洪水が多くの被災者を出した。壊滅的な打撃を受けたのがアール川流域だった。10月末の情報では、ドイツの死者数は184人、行方不明者は2人。うち134人がアール峡谷の洪水による犠牲者だという。ライフラインの被害も甚だしく、地域により携帯電話網も一時不通となり、電気、ガス、水道、道路や橋、鉄道が広域にわたって破壊された。復興には、おそらく何年もかかるだろう。

アール川は全長89キロメートル。このうち下流の約30キロメートルの流域で、主に赤ワインが生産されている。アールの谷は狭隘で、蛇行する川幅は狭い。平地はわずかで背後にそびえる急勾配の斜面がブドウの栽培に利用されている。畑の標高は、高いところで180メートルある。総栽培面積は約560haと小規模だが、高品質のシュペートブルグンダーやフリューブルグンダーの産地として知られる。スレート岩主体の土壌で栽培されるシュペートブルグンダーは世界的にも珍しい。

アール地方の年間平均降雨量は600ミリ弱でワイン造りには理想的だが、今年は雨が多く、1年間の降雨量の約90%が、7月中旬までに降った。アール川の通常水位は多くて90センチ程度だが、7月14日19時には、アルテンアールで3メートルを超え、深夜過ぎに5メートルを突破、その後は計測が不可能になった。最高水位は7メートルに達したのではないかと推測されている。

この洪水で、ワインとツーリズムを主産業とする村々が浸水した。アール川流域在住の住民約5万6000人の4分の3が被災したと言われ、崩壊家屋は約500棟、川沿いに立つ4200棟のうち3000棟以上が破損した。

65の醸造所と3つの協同組合のうち、被災を免れたのは3醸造所だけだという。住居や醸造所、醸造設備や農業機械だけでなく、木樽やタンク内の2019~20年ヴィンテージもその多くが失われた。造り手にとっての救いは、ブドウ畑の90%以上が無事で、場所と設備、人手の確保さえできれば、21年の収穫が可能なことだった。

「アール地方洪水被害・復興支援委員会」発足

災害の4日後、ファルツ地方の醸造家、坂田千枝さん(ベルンハルト・コッホ醸造所)を通じて、彼女が3年にわたって働いた、デルナウのマイヤー・ネーケル醸造所の被災状況を知った。同醸造所はアール地方を牽引する卓越した造り手で、同地に新風をもたらしたヴェルナー・ネーケル氏の娘、ドルテさんとマイケさんがワイン造りに取り組んでいる。その醸造所が濁流にのまれ、醸造設備のほぼ全てが瓦礫と化したという。

同じ頃、デルナウのクロイツベルク醸造所の被害を、日本の輸入元、ヘレンベルガーホーフ社(山野高弘社長)のインスタグラムで知った。同社は直ちに応援キャンペーンを行い、その後もソーシャルメディアを駆使して被災地情報を伝えている。

坂田さんは災害の10日後、マイヤー・ネーケル醸造所が至急必要とする機材を積みこみ、仲間と現地に向かった。彼女はその後も幾度か現地に向かい、泥をかぶったボトルの洗浄などを手伝いながら、思いつく限りのワイン関係者に連絡を取った。「収穫期が始まると動けなくなるので、それまでに何か支援の基盤を作りたかった」と言う。そして7月末、 坂田さんはラインヘッセン地方の醸造家、浅野秀樹さん(HIDE‘s Wine 639)と共同で「For AHR Project - アール地方洪水被害・復興支援委員会」を設立した。同団体はドイツ在住の日本人に声をかけてボランティア活動を行うほか、日系企業の協力を得て、車や食品の寄贈を仲介したり、チャリティーワインを販売している。

10月には、マイヤー・ネーケル醸造所のワインの輸入元、ディオニー社(前田豊宏社長)が、醸造所と共に「マイヤー・ネーケル緊急支援プロジェクト」の名称でクラウドファンディングを開始している。冬季を迎えた現地にはさらなる支援が必要だ。7.14を忘れず、長期的に支援を行うことの意味は大きい。 

守られた2021年の収穫

9月から10月にかけて、デルナウのベルトラム・バルテス醸造所の収穫を支援する活動「10人のボランティア」が行われた。国内のWSETディプロマ取得者が中心となって企画し、収穫期間中の約40日間にわたり、毎日最低10人の収穫スタッフを送り込むもので、筆者はこれに参加した。今年は多くの醸造所にこのような収穫ボランティアが駆けつけた。

同醸造所を運営するのは、ベルトラム醸造所の5代目、ユリア・ベルトラムさんとマイショス出身のベネディクト・バルテスさん夫妻。フランケン地方で活躍していたベネディクトさんが19年に故郷に戻り、新しいスタートを切ったばかりだった。醸造所と倉庫、設備の大半が使えなくなったが、運良く仮の醸造所となる物件を賃借でき、修理したタンクや寄付された木樽、中古の設備を揃えて収穫に臨んだ。

早朝、各地から10人を超えるボランティアが集まった。筆者が参加した日は、最も傾斜が急なマリエンタールのトロッツェンベルクとアールヴァイラーのフォルストベルクのシュペートブルグンダーの収穫だった。「醸造設備はどれもギリギリ間合った。今年は収穫期が例年よりやや遅かったのが幸いしたのよ」そうユリアさんは語る。最終的に、同醸造所の収穫に参加したボランティアの総数は120人を超えた。そのうちの半数近くが、来年も参加する予定だという。アール地方の醸造所は、災害を機に多くの人々との新しい繋がりを得ることになった。

災害直後の段階では、収穫自体が危ぶまれていた。しかし数多くの無償の支援により、収穫は無事に終わった。2021年産はどの醸造所にとっても復興の基盤となるかけがえのないヴィンテージとなる。アール地方全体では、最終的に長期的平均をやや上回る収量が確保できたとのことだ。

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