谷口輝世子:大谷翔平とベーブ・ルースをつなぐ、マックス・スタッシ捕手のファミリーヒストリー
米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平は2022年8月9日のアスレチックス戦で2桁勝利を記録し、ベーブ・ルース以来104年ぶりとなる同一シーズンでの2桁勝利、2桁本塁打を達成した。
大谷はメジャーリーグに移籍してからベーブ・ルースと比較され、そしてベーブ・ルース以上のことを成し遂げた唯一の存在といってもよいだろう。今、大谷を観ている私のような中年は、生きているうちに彼のような選手に巡り合えないかもしれない。ベーブ・ルースと同じく「100年に1度」出会えるかどうかのプレーヤーといえるのではないか。
ところが、ベーブ・ルースと大谷の間に流れる100年をつなぐメジャーリーガーが大谷と同じエンゼルスにいる。
捕手のマックス・スタッシだ。スタッシのファミリーヒストリーをたどっていくと、あるメジャーリーガーにたどりつく。外野手のマイリル・ホーグという選手である。エンゼルスの球団公式ホームページには、スタッシの叔父がホーグと表記されており、記録サイトのベースボール・リファレンスには大叔父と表記されている。しかし、実際にはもう一代さかのぼり、マックス・スタッシの父親でマイナーリーガーだったジム・スタッシの大叔父にあたるようだ。
ホーグは、1931年にヤンキースでメジャーデビューしており、ベーブ・ルースのチームメートだった。このことは、マックス・スタッシもよく知っているようで、MLBネットワークの動画で、ホーグはあるデーゲームの日に調子が出ずにベーブ・ルースと少し口論になったが、それから仲良くなったというエピソードを披露している。ホーグはヤンキースの一員としてワールドシリーズ優勝を3度経験。メジャーリーガーとしては13年プレーし、通算成績は打率2割7分1厘、28本塁打、401打点だった。
スタッシの先祖であるホーグが、ただ単にベーブ・ルースとチームメートだったから、大谷とつながっているというだけではない。ホーグと大谷は二刀流でもつながる。
ホーグは1945年まではメジャーリーガーだったが、第2次世界大戦が終わった直後の46年からはフロリダのマイナーリーグでプレイングマネジャーとなった。このとき、ホーグは38歳。プレイングマネジャーになっただけでなく、本職の野手のほかに、ピッチャーとしても複数シーズンにわたって投げている。なんと三刀流だったのだ。
ホーグがマイナーリーグで三刀流をしていたことを、私は2020年のアメリカ野球学会(SABR)のジャーナルによって知った。著者のヘルム・クラッベンホフトさんは大谷の二刀流に刺激を受けて、1946年から1960年までにマイナーで二刀流をしていた選手たちを丹念に掘り起こしたのだ。この期間にプレイングマネジャーをし、なおかつ二刀流という選手は11人いて、ホーグはそのうちの1人である。クラッベンホルトさんの研究を読むと、少なくない選手たちがマイナーでは二刀流をし、さらにホーグのような三刀流の人までいたことがわかる。
しかし、最高峰のメジャーリーグとなると話は別で冒頭で述べたように、投打にわたってトップ級の結果を残す大谷のような選手は100年に1度の選手である。ベーブ・ルースとチームメートで、マイナーでは三刀流だったホーグも、メジャーで二刀流として結果を出すことの難しさをよく知っていたのではないだろうか。だからこそ、草葉の陰から、いや、映画のフィールド・オブ・ドリームスのようにトウモロコシ畑の陰から、後裔のスタッシと、大谷を見守っているような気がする。
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