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ブータンと外国

ブータンと外国

ブータンは植民地支配はうけていないものの、1910年に "イギリスがブータンの外交に実権をもつこと" が決められています。

さらに第二次世界大戦が終わると、新しく国になったインドがブータンの外交に実権を持つようになります。
そんな中ブータンは 1971年に国連に加盟し、1974年から外国人観光客の国内への入国をはじめて認めるなど、国際化を進めていきます。

しかしこの国際化の動きとは裏腹に、1986年に施行された新しい法律で、ブータンに一定期間住んでいる人に市民権が与えられる反面、ネパール系の人たちを違法な移民として見なすようになったんですね。

さらにネパール語で行われていた学校教育は禁止されていきます。

こうした背景から、ネパール系の人たちへの敬意や民主的な政治を望む抗議活動が起きるのですが、政府も暴力で対応しました。

それまで絶対的な権力を保持していた国王は1998年に政府のリーダーから退き、制限付きでインターネットの使用が許可されたりしていきます。

民主化への道

絶対的な国王による君主制が終わると、2008年にブータンで初の民主選挙が開かれることになります。

2007年にはブータンは自国の外交や防衛に関する権限をようやく手にし、初の選挙に慣れるための模擬選挙が行われていきます。

当時の首相もいったん辞職し、選挙に立候補する形をとりました。

2008年の選挙の年になると、ネパール系の人たちの権利を主張する勢力が爆発事件を起こしたりしたのですが、初の民主選挙は無事に行われ、君主制に肯定的な政党が政権を獲得し、皇太子が新しい国王を引き継いで、ブータンは新時代へと突入したのです。

参考: BBC News

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