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エジプトとイギリス

イギリスの影響力

エジプトは隣国 Libya(リビヤ) での紛争にくわえ、内戦、ナイル川をめぐる争いなど今も色々な紛争をかかえています。

1922年にイギリスからの独立をはたしたエジプトですが、
エジプトのナイル川における権利をイギリスが承認していたり、イギリスがスーダンをエジプトと共同で支配したりと、イギリスの影響力が強く残っていたんです。

こういった状況の中で、反西洋の考えをもち、イスラム教徒やアラブ民族であるエジプト人としての尊厳を取り戻すことを目指す the Muslim Brotherhood という政党が台頭してきます。

イギリスの影響力が終わった後

そんな中、イギリスがエジプトから撤退すると、1956年に当時の大統領 Gamal Abdel Nasser が、ダム建設のためにスエズ運河を国有化します。

スエズ運河は中東と海外諸国をつなぐ大事な貿易航路であるため、このエジプトの決断をうけて、
イスラエル•フランス•イギリスがエジプトに軍事侵略をして対抗するのですが、
アメリカの支援もあってエジプトが大国を打ちまかします。

しかし、このあとも1967年に the Six Day War とよばれる戦争で、イスラエルが Sinai半島を占拠するなど、イスラエルとエジプトの争いは続いていきます。

1971年にエジプトは、The Aswan High Dam というダムの建設を完成させます。ちなみに、このダム建設はソ連がサポートしていて、ライバルのアメリカがエジプトにおける影響力を強めないように対抗しているのです。

このダム建設はスーダンとエジプトへの洪水を防止したり、安定した電力や農業生産を保つ上で大事な役割を果たしているんですね。

しかしここで問題だったのは、ナイル川は 11か国にまたがっていて、その中でもエチオピアにとっては大事な水源だったのです。

スーダンやエジプトが他国を無視してナイル川の権力を牛耳っていることに反発したエチオピアは、2011年に独自の新たなダム建設を発表します。

エチオピアがダムを作って水を貯めていけば、
エジプトが得られる水の量が減るわけで、これは農業生産や電力供給に影響してきます。

アラブの春

こうした資源をめぐる争いに加え、2011年にエジプトでもアラブの春という反政府抗議活動が起き、大統領であった Hosni Mubarak という人が政権を降りることになります。

しかしその後、軍部が権力を得ようとしたため、エジプトの首都 Cairo(カイロ)にある Tahrir Square という所で争いになるんですね。

2012年には Muslim Brotherhood の勢力の中から Mohammed Morsi という人が大統領に選ばれるのですが、
2014年には 反Muslim Brotherhood の軍部が政権を奪い返して、Abdel Faitah al-Sini という人が新しい大統領になるんです。

過激派組織

こういった Muslim Brotherhood勢力と軍部の勢力に加え、Ansar Beit al-Maqdis というSinai 半島でイスラエルと戦っていたイスラム過激派の組織が、ISIS(イスラム国)の一部として活動を活発化していきます。

これに対して Abdel Faitah al-Sini 大統領は、
宗教に基づく政党を禁ずる憲法を作ったり、軍事行動を活発化したり、インターネットを制限したり、自身の政権を延長できるよう仕組みを変えたりと色々対抗している、といった状況がいまも続いています。

参考: Al Jazeera, BBC News, NowThis World, DW News, TRT World

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