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豊かな世の中

とある本に、「現代社会は豊かになったことで、私たちの生活は...」といった文章が書かれていました。そのことを、1961年生まれの私は「ふむふむ」と納得して読んでいましたが、干支が二回り若い従業員は「豊かになったなんて思えない」という反応を示していました。

因みに著者は、1958年生まれ。私に非常に近い年代の方です。

私の頭の中は、戦後との比較や、子供時代(路面が舗装されておらず、高速道路もほとんどなく、どこもここも渋滞で、光化学スモッグや、アスベストが充満し、あちらこちらの空地で遊び、週に一度のデパートでの外食が御馳走で、海外旅行は夢のまた夢だった時代)との比較でした。

ところが若い従業員は、つい最近の、就活時代の悲惨さ、派遣社員の悲哀のような時代と今との違いの比較しかないのです。

違いが出て当たり前ですよね。

私の子供時代は、まだ漠然とした未来への希望が今よりも強かったように感じます。一生懸命勉強して、良い会社に入って、家庭をもって、自家用車があって、住宅を手に入れて、旅行に行けて...といった路線を何となく誰もが希望を持っていたように感じます。

ところが、高額の学費を払って大学に行ったところで良い会社に勤められるとも限らない、大会社に入ったって将来が安泰だとは言えない、家庭を持つよりは一人で生活した方が楽に感じる、車はお金ばかりが掛かるのでいらない、住宅ローンなんて払い続けることができるか分からない...と感じている人が「現代」は多いように、私の世代からは見えます。

しかし一方では、とても安泰な生活を送っているようにも見えます。スマホで世界中の人とのコミュニケーションを楽しみ、その気になったら海外旅行だって格安で行ける(コロナ禍で今は難しいですが)、コンビニで安い弁当は食べられるから食うに困るなんてほとんどない。将来にさえ目を向けなければ、それなりに快適な人生を送れる。そんな時代に見えます。

ただ将来を気にしない人はいないのも事実で、結局、ふっと我に返ると、不確実性の高い社会に不安を持っている人が多いのでしょう。

それを解消するには、皆が『豊かさを求めることのできる社会』、『努力がそれなりに報われる世界』を作るしかない、それしかないのだと思います。少子高齢化し、インフラも老朽化して、様々な不安の中、社会コストが増え続ける世の中ではありますが、若い人たちが希望をもって生きることができるための『道筋』を私たちは作る必要があります。

それぞれの立場や、能力の差があっても、一生懸命生きることで「報われる社会」とは何か?

正解は、誰かから出されるものではなく、各々が自分で見出すことしかないのでしょう。

ただ、それを導き出すことができるように、社会や教育を整備していくことが私たち先を生きる者たちの使命です。

最近感じることは、人生は有限で、終わりは自分では決められないということです。ならば、将来を案じるよりも、もっと楽しく、もっと高みを目指すことに気持ちを集中して、そのための時間を作る。それぞれの「ひと時」を充実して生きたいと思うのです。

他人の目を気にすることなく、自らの意思と意志を大切にして、一日の終わりを幸せに迎え、あわよくば迎えることのできる明日に感謝をして、一生懸命生きる。それが、幸せ。そんな価値観が、今私の中にあります。

一人一人の持つ、有限の人生を、誰もが幸せに生きて欲しいですよね。


島崎ふみひこ
異文化コミュニケーション研究所(R)
https://www.globalforce.link/
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