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人生の岐路

某月某日、昨日と今日で100回くらい「マジかぁ」とつぶやいている気がする。

人生の岐路に立つような相談を受けて、想定外の理由である方向に進んでしまい、少し責任を感じているのかもしれない。進む方向は予期していた一方で、理由は「マジかぁ」と言いたくなってしまう。相談相手は戦略家で、僕に相談するのも戦略のうちなのかもしれないな、とも、ふと思う。確かに、彼がうまくいかなくなった時に1年以内に僕が取りそうなアクションも見える。なんか将棋を指しているような感じやな。

GLAYのPure Soulを思い出す。たぶん、何不自由のない暮らしで、何か満たされなかったのだろう。何を恐れているのかも分からず、街を飛び出すのだろう。栄光を掴むために。本気で人生の岐路に佇む時、あぁ、こういう気持ちなのかな、とも思ったりする。でも、それを見守ってる人たちがいるというのも忘れてはならない。この曲は単に親への感謝なのかなとも思っていたけれど、もっと深いものがありそうだ。そういう気持ちを疑似体験させてもらった相談相手にも感謝である。

こういうことがあったので、新たな一歩を踏み出せるような、今週の星回りがしっくりきすぎてびっくりしている。僕も憧れとともに、一歩ずつ踏み出していこう。

続いて、GLAYの生きがい。許されぬ過ちも、振り向いたら懐かしい日々になる。運命は一瞬のほんの出来心。まぁ、人の心に無闇に踏み込んでここでは返す刀で怪我をする、というのはお節介な僕の常なのだが。命朽ち果ててゆくまでの喜劇そのものなのかな。

まぁ、彼も僕も、ただ馬車馬のように働いていただけでは生じない感情であるから、それをお互いに大切にしていこう、ということなのだろう。

幸せという魔物に、取り憑かれ悲しみを繰り返すような生き物なのだろう。失われた心の行方や、忘れ去られたあるべき姿をずっとずっと問いかけ続けるような生き物なのだろう。

僕だってそうなんだ。

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誰かの記念樹、季節外れの桜が咲いていた。

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