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アクシデンタルな祖母

祖母が胃ろうになった。昨年の、秋口のことだった。

「私もお見舞いに行きたいけど、行かない方がいい?」

父に聞けば父は憔悴した顔を擦って一拍思考し、「うん、来ないほうがいい」と答えた。

「あのひと、顔変わっちゃったから。業が全部顔に出てる」

父の疲れた声を聞いて──私は「コイツ自分の母親が業の深い人間だってちゃんとわかってたんだな」と感動したのだった。

祖母の紹介をしよう。
中部地方の片田舎、在日外国人、幼少期は苦労をしたが生家がどんどん栄えていき「女王様」になった女。
弟妹が多く長女だったので学問の道は諦めさせられたが、女学校では聡明だったそうだ。
気が強く、在日一世の祖父の気性の激しさにもびくともせず、何なら祖父が亡くなったとき「昔のお妾さんにも連絡入れる?」と余裕の対応を見せた。
多趣味で、見栄っ張りで、怠惰で、祖父の経営していた会社が傾いた一因でもある。
愛情深い人でもあった。初孫の私は特に可愛がられたが、私は幼い頃から何となく祖母が苦手だったし、大人になってからは折り合いをつけるまでは憎んでさえいた。

嫁いびりに気合が入っていた。
母から聞くだに、そして従妹越しに叔母から聞くだに、本当に気合が入っていた。
詳細は割愛させてもらう。ちゃんと悪口になるので。
でも、祖母は特に、叔母よりも私の母を執拗に狙った。長男の嫁で、男を産めず、半端に学歴が高いからだ。叔母は男を産んだし、突き抜けて学歴が高いので多分手出しする理由というか、隙が少なかったのだろう。

祖母にいびられた母の皺寄せは全部私に来る。私の持つ地獄は祖母から始まったと言っても過言ではなかった。両親が離婚してなおその皺寄せは引きずって私に覆い被さった。
だから私は祖母を憎んだが、しょうもない理由で彼女を許した。

彼女は霊感が強く、信心深いひとだった。家の掃除は怠っても仏壇の手入れだけは欠かさなかった。
その霊感だけで私は彼女を許せてしまったのだ。私の霊感を、親族で唯一否定せずに同意したひとだったからだ。結局ひとは肯定されたい生き物だし、私だって人間だ。

信心深い祖母とはいえ、さすがにお釈迦様も彼女を極楽浄土に入れてくれはしないだろうなという所感だ。本気でそう思う。信仰が無駄になることだってあると思う。人生ってそういうものだ。

既に祖母を許していた私は、最後に一緒に行った旅行で、祖母の写真を撮っていた。
遺影に使いたかったのだ。そういう年だ。
気取った写真でも良いが、祖母が趣味のひとつにしていたカメラで私が撮った。私は幼い頃、祖母に写真の撮り方を教わっている。小学生の頃、デジタル一眼が出るずっと前、祖母のお下がりのフィルムの一眼レフをプレゼントされていた。気が付いたら母に捨てられていた。(私のものなのに!)

私は、人物写真を撮る時、だいたい人に喋らせる。撮りたい表情を引き出す話題を振り、会話しながら写真を撮るのだ。綺麗なモデルさんを撮るというよりは、人生を切り取る感覚で。

「おじいちゃんの何処が好きだった?」

私は蓼科の旅館で祖母に聞いた。本当は安曇野で綺麗な山々と一緒にポートレートを撮ってあげたかったのだけど、あいにくの雨で持て余していたのだ。旅館の庭が背景に夏の青さを滲ませていた。

祖母は唐突に笑った。晴天を貫く軽快な笑い声だった。祖母に似つかわしくないとまで思った。

「なぁんも覚えてねえ!」

祖母はそう言った。
私はシャッターを押した。

その写真は祖母が本来抱えている黒い感情なんて一点も映さず、快活に笑う祖母が映し出されている。

あの写真を撮っておいてよかった、と胃ろうの話を聞いた時に思った。
あの写真を見た人は、祖母のことをみんな良い人そうだと言うだろうから。

さて話は急に一年飛ぶ。

今年八月、私と父は特急列車に乗って、祖父の墓参りと祖母のお見舞いに田舎へ向かった。日帰りだ。強行軍だった。

「私のこと見てわかるかな」

私はぼんやりと隣に座る父に話しかけた。

「あまり期待はしない方がいい」

父は重い声を出す。

父自身、祖母との確執はある。しかし彼はそれを切って捨てられない情の厚さも持ち合わせていた。

列車は進む。窓の外がビルから家屋に、家屋から畑に、畑から山に変わる。

田舎町の駅で降りて、タクシーを拾い、墓参りをする。タクシーの運転手のおじさんは気の良い人で、父が強行軍の中長時間拘束しても眉ひとつ歪めず、だから父は彼に倍近い額を払った。

降ろされた病院は叔父が院長をしている、病床数を確保してある、所謂「クリニック」ではなく「病院」だ。
我が一族はいかんせん人数が多いので定かではないが、確か祖母の弟が始めた病院で、祖母の甥が手を入れてピカピカに改装してある。現代的で、明るい病院だった。

「おお、そろそろ来る頃かと思ったよ」

叔父が穏やかに笑って私たちにマスクを渡す。父と私はマスクをして受付を抜け、エレベーターに乗った。

祖母に会うのが怖かった。
祖母のことを憎んでいたが、過去の話だ。

私は昔、服毒自殺を試みた際、ICUに入っている。
あの時にカーテンの隙間から見えた、口を開けて天井を見て、酸素を入れられている老人の白い顔が脳をよぎった。
晩年話しかけても答えなくなってしまった祖父の、見開いた黒い目も。

自分が老いることは恐ろしくない。
でも、身近な人が老いるのを見ることは堪らなく恐ろしかった。

不安は雲を渦巻く。エレベーターの中は誰もが無言だった。

軽い音を立ててエレベーターは開き、スリッパに履き替え、私たちは粛々と病棟を歩く。

「祭さん!お見舞いきたよ」

看護師さんが祖母がいると思しき病室に声をかけた。私はいよいよ汗みずくの手のひらをギュッと握る。

病室の引き戸を開ければ、胃ろうのはずの祖母がゼリーを貪っていた。

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