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私と父と桃と

聞いて驚くな、私は何とDV被害者だ。そんなに驚くことでもないか。私みたいなタイプの女はDV男の格好の餌食だろうから。
事の顛末は全てここに纏められている。

書き上がったのが確か今年の一月、出版をしたのが今年の三月。

全て「膿出し」のつもりで書いていた。
私の中で醜く腐ってしまった、潰えた恋心を多少痛くとも傷口から掻き出して治療しようとしたのだ。
「多少」なんてもんじゃないくらい痛かった。痛かったし、何度か吐いたし、動けなくなったし、フラッシュバックに苦しめられたし、しかし完全にその役割を果たすことはなかった。
起こったことを理解できた。把握できた。しかし消化しきれなかったのだ。

精神科のナースである友人から勧められたのは、Kindle Unlimitedで読むことができるトラウマ治療の本だった。

詳しくは読んでいただければわかるが、これを読むことができるのは激烈なトラウマが無い人だけだろう。
私は自分の抱えているトラウマ、つまり元夫との記憶が「激烈」である自覚がないままこの本に手を出し、そしてごく当たり前の流れとしてフラッシュバックに追い込まれて今回体調を悪くした次第だ。

私は二秒に一回、元夫の話を出す。
しかし離婚当初に比べればその語り口は軽快なものだったし、夢にも見なくなっていた。夢に見たとして流せていた。
それが、ベッドに蹲って動けなくなるくらいのパンチのある夢を毎晩見るようになった。

和解して寄りを戻す夢。勿論そんなことはしたくない。彼とは今世も来世も来来世も他人が良い。

和解してハグをする夢。ハグをした彼の身体の厚みを思い出し、その途端にお尻に回った彼の手を、何故か急に正気に戻った私はバシッと叩き落として目が覚めた。

最悪だったのは妹と出身校を巡る夢だ。私たちは中高と同じ学校を出ているのだ。
夢の中で妹はクズな彼氏を私に紹介してきて、私は在らん限りの語彙とジェスチャーを使って彼を馬鹿にした。それはもう熱烈に馬鹿にした。私は元々、身内に仇なすものを馬鹿にするのが好きだ。狭い世界で生きている人間なのだ。
さて夢の中の妹は怒った。当然だ。如何にクズだろうと、惚れた男を馬鹿にされたら誰だって怒る。

「お前だってクズ男に惚れてたろうが!」

妹は、現実では見たことがないレベルに怒りに顔を赤黒くして怒鳴って──
夢の中の私はその妹の顔を強く掴んだ。現実と同じく長い爪で彼女の顎の下を傷つけて、爪の間に血肉が残るくらいに強く掴んで、私も怒鳴った。

「お前に私の何がわかる!私がどれだけ苦しんでるか!毎日毎日どれだけ苦しんで、未だに夢に見るくらい苦しんでるんだぞ!」

自分の怒鳴り声で目が覚めた。ちゃんと魘されていた、現実でも声が出ていた。

そこで私はダメになってしまったのだ。

あの日々、あの腐った果実の日々。私は幸せだと認識していたし、別れてからもあの時間は幸せな日々だったと思っていた。
それが、脳の防衛機能だったと掴んでしまって、ダメになってしまった。

私はきっと、「家族」「愛」「幸福」というものに対して他の人より並々ならぬ執着がある。
そんな私が「私は幸福ではなかった」と認めるのは針の筵だった。

まあそこからは音を立てて崩れるわ崩れるわ。

私が最後にオーバードーズやら自傷やらをしてから五年が経つ。元夫と別居してから一切やったことがなかった。

パイプユニッシュを買った日、それを飲みたくてたまらなくなった。先述のエッセイにも書いたことだが、私は元夫から自殺教唆を受けた末漂白剤を飲んで死にかけたことがある。
それを飲まないためにできたことはただひとつ、オーバードーズだけだったのだ。経験上三日間寝たきりになる量を飲んで、眠る。

翌朝!ピカピカの朝!快適な目覚め!何故か起きられる!
……しかし殆ど記憶はない。前後数日の記憶が曖昧になっている。
LINEを見ると友人であるトモちゃんとシャカちゃんとの通話記録がそれぞれあるが、そこで何を話したのかをさっぱり覚えていない。

自傷は職場で起きた。
唐突な衝動に抗えなくなり、製図用のシャープペンシルで左腕を十回ばかりガツンガツンと刺したのだ。
弊社は個人の作業スペースが広く、しかも間仕切りが立ててある。殆ど密室殺人ならぬ密室自傷行為だ。

鋭利ではあるが短いもので刺したので傷は深くなかった。しかしそれなりに血が出た。焦った。
暗がりから元夫が出て来て、私の髪を掴んで揺さぶる気がした。私の頭をそのまま壁に叩き付けて笑う気がした。あの日のままに。そんなはずがないと分かってはいても。

逃げ場がない。眼球を震わせて、事務所の水場に逃げ込んだ。
全くの余談のオカルト話だが、弊社には大体水場に見えちゃいけないタイプの女、つまり幽霊がいる。私は死線を潜り抜けすぎて霊感が酷いので理解できるのだ。その女が死人の分際で私を心配して覗き込んでいた。お前に心配されるのは嫌だ。普通に怖いし。

その後どうしたかの記憶がどうしても数日分無い。
私は解離性障害持ちだ、きっと辛かったから忘れたのだろう。

気が付けば休職していた。
二週間を申し出て、取り敢えず一週間と言われたのだ。
メソメソ金の心配をしたり、その割に全く身じろぎできないので飯を食うとなればウーバーイーツに頼るしかなく、生活資金はどんどん削れて行った。

このまま死ぬのだと思った。
結局私はあの男から逃げ切れずに殺されるのだと思った。

さて私の古い知人に鍼灸師の先生がいる。
ヤベ先生は母より少し年上くらいの女性で、私が大学に入った頃からお世話になっている。
かつては月一、今では年一まで頻度が減ったが、一年と少しぶりにヤベ先生のところに行って号泣したのだ。

「死にたくない」
「せっかく生き残ったのに」
「私は殺されなかったのに」

私がみっともなく診察台のベッドに蹲って悲鳴じみた泣き声を上げるのを先生は笑わない。
「死にたくないなら良いの」と穏やかな声で宥めてくれた。

そこから私は、天井を見たり、追い鬱──鬱の時にもっと酷い鬱を摂取することで一時的な命の危機に追い込みV字回復する真似してはいけない健康法──用の小説『アウシュヴィッツのタトゥー係』を読んで鬱になるどころか「人生は美しいんだ、人は負けを認めるまでは負けてないんだ」とズベズベ元気に泣いたりしていた。

話は唐突に私と父の話になる。

我が家は父子家庭だ。
私はハタチの頃から父と二人で暮らして、同棲のため家を出て、離婚して家に戻り、今は一人暮らし。

父は税理士だ。
都内一等地で三十年間事務所を構えていられるくらいにはガッツのある男で、しかもそのガッツを持たない人間の心をまるで理解しない、つまり元気な時の私によく似た気質をしている。
事務所で私を含む社員数人を使い、つまり人に頭を下げることができない先生様だ。

先述のエッセイにも書いたが、私が離婚を言い渡された時に酔っ払った状態で当時の家までやって来て「イタリア行くか!」と陽気に言ったのは紛れもない父だ。
こいつはそれ以外の手段を持たない男だ。
私の友達のKちゃん曰く「不器用でおろかわ(愚かで可愛い)の代表格」。

とはいえ、一度だけ、父に人間らしい共感をされたことがある。

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