見出し画像

最近の日記

「社会」と「世界」を同一視してしまうことが多いけれど、本当はまったく別のものだ。気持ちが落ち込むようなら、ふたつは切り離して、「世界」に集中することだ。そして何よりも「自分」に焦点をあてること。


決定的な絶望、致命的な失望からでさえ、きちんと立ち直れるようになってきている。よしよし。よくがんばった。


“冬”の一族の王女は、石造りの古い城に住んでいる。竜を友とし、硝子に覆われた中庭で、春を待つ植物や種たちを守っている。


父の十三回忌。真っ黒な冬のコートを着て寺に行った。

最近ずっと失われたものたちが「ある」場所について考えていた。自分の意識や魂や心が思うことを感じていた、と言ってもいいかもしれない。「そこ」は古い博物館のようだろうか。それともバベルの図書館のように、失われたものたちが記録として本として残るようなところだろうか。そもそも本当に失われる、ということが、起こりえるのだろうか?この世界で?

すべてのものは光の粒子として存在していて、かがやく霧のようなもので、風であり、空であり、土であり、海である。

失われるものなど、何もない。

千年後、すべてのわたしたちはふたたび出逢う。知っている。


立冬。

遠い遠い記憶、かつて見たもの。バプテスマのための隠された水場、あるいはラピュタの庭園にある池、南にある珊瑚で作られた島。


(ウリル、三頭の馬、よろこびのうた、旋回する翼、落下する瞳、駆ける蹄、生命の系譜、やせ細り、いつか永遠に失われても、彼らはただそこにあった、ウリル、)


答えを出すのではなく、疑問を呈するのではなく、
ただ純粋に、こどものように、手放すように問いかけてもいいのだと。


断言したいこと。大丈夫だってこと。自分の生活を続けることは勇敢だということ。

いつか断言したいこと。
自死を選んでしまうこと自体は罪ではないこと。

罪だなんて言わないで。定めないで。さまざまな、複合的な理由で、原因で、必死に戦った末に選んだ答えを、罪だなんて言わないで。

誰かがそれを罪だと言うのなら、わたしはいいえ違うと首を振りたい。

かみさまがそれを罪だと定めたとしても、わたしは違うのだと言い続けたい。
説得したい。かみさまを。

あなたが彼らを見捨てると言うのなら、誰が彼らを救えるというのか。

(戦い抜いた彼らに花を贈りたい)


たんぽぽの綿毛のような ふわふわのいのち
わんこを撫でているとわいてくる やわらかいきもち
森の中を歩いている 軽い足どり 涼やかな風
湖面の上の牡鹿 遠くからきこえるうたごえ
霧の向こうのあなたへ 手を振ること
あなたが手を振ってくれること
しあわせだ、と思うこと


意味が欲しいんじゃなくて(じゃあ何が欲しいんだろう?)


エンドロールにひとりきりの 名前しかなくたっていいよ