![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74356840/rectangle_large_type_2_2b89ab5699d1dad5033d071a3ab7a29b.jpg?width=1200)
ある信仰と、あなたの手に触れることについて
いろいろなことから影響されたのかもしれないが、急に特定の宗教がおそろしくなってしまい、なぜだろう、と考えてみた。数日かかってぽん、と出た答えは「わたしが今まで知らなかった、新しい誰かの手に触れることができたのかもしれない」という思いだった。わたしがあなたの手に触れることを、許してくれたこと。
それはとても、とてもうれしいことだ。涙が出るくらい。
「なぐさめ」というテーマを得て、誰かの恐怖や悲しみを受け止める機会を得たなら、それをなぐさめたいと思った。その手に触れて、できることなら撫でて、やさしく握りしめて、だいじょうぶだよ、と言ってあげたいと思った。白い光で、あたたかな毛布で、すっぽりと包んであげたいと思った。
侵略される恐怖は、信仰を奪われる恐怖は、自分の信じるものを踏みにじられる恐怖は、
だいじょうぶ、
きちんと癒えるものだよ。あなたが願うだけで、あなたは、あなたの思いは救われるんだよ。
木漏れ日や朝の霧や白い羽根のように、やわらかなものになって、大いなる輪を循環する。
(蓮の葉についた水滴を吸いに、一匹の天界の蝶が降りてくるイメージ。)
だいじょうぶだよ、と伝えたい。
同じ視点になるように、傍に座って、手を握る。
それだけで救われることもある。知っている。
(220217)
-
綺麗ごとと言われても歌うように言い続けるよ。