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ある信仰と、あなたの手に触れることについて

いろいろなことから影響されたのかもしれないが、急に特定の宗教がおそろしくなってしまい、なぜだろう、と考えてみた。数日かかってぽん、と出た答えは「わたしが今まで知らなかった、新しい誰かの手に触れることができたのかもしれない」という思いだった。わたしがあなたの手に触れることを、許してくれたこと。

それはとても、とてもうれしいことだ。涙が出るくらい。

「なぐさめ」というテーマを得て、誰かの恐怖や悲しみを受け止める機会を得たなら、それをなぐさめたいと思った。その手に触れて、できることなら撫でて、やさしく握りしめて、だいじょうぶだよ、と言ってあげたいと思った。白い光で、あたたかな毛布で、すっぽりと包んであげたいと思った。

侵略される恐怖は、信仰を奪われる恐怖は、自分の信じるものを踏みにじられる恐怖は、

だいじょうぶ、
きちんと癒えるものだよ。あなたが願うだけで、あなたは、あなたの思いは救われるんだよ。
木漏れ日や朝の霧や白い羽根のように、やわらかなものになって、大いなる輪を循環する。

(蓮の葉についた水滴を吸いに、一匹の天界の蝶が降りてくるイメージ。)

だいじょうぶだよ、と伝えたい。

同じ視点になるように、傍に座って、手を握る。
それだけで救われることもある。知っている。


(220217)

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綺麗ごとと言われても歌うように言い続けるよ。