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東北と共にある。 -前編-

GLAYといえば、GLAY EXPO。

そう、1999年7月31日、

幕張で開催された伝説のライブ

『GLAY EXPO '99 SURVIVAL』

は単独アーティストよる有料ライブ(1公演当たり)の世界記録となる20万人を動員し、今でも語り継がれています。

この規模のライブ…

リアルタイム世代以外には信じられないかもしれませんが、

合成ではありません。全て観客なのです…!


その後もGLAYは

2001年には、東京・北海道・福岡3会場トータルで28万人を動員した

GLAY EXPO 2001 “GLOBAL COMMUNICATION”

や、

2004年に、大阪のテーマパークUNIVERSAL STUDIOS JAPANで開催された

GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS JAPAN™ “THE FRUSTRATED”

でも10万人を動員するなど、

GLAYのライブの中でも大イベントとなるEXPOを繰り広げてきました。


そして、1番最近のGLAY EXPOが、

GLAY EXPO 2014 TOHOKU 20th Anniversary


こちらはちょうど5年前、

2014年9月20日 ひとめぼれスタジアム宮城で10年ぶりに開催されました。


2014年はGLAYメジャーデビュー20周年の年であり、記念すべきイベントにもなりました。


さらに、このGLAY EXPOにはもう1つ大事な目的がありました。


3.11 東日本大震災からの復興

です。


GLAYは今まで東日本大震災関連以外にも、様々な支援やチャリティーイベントなどにも参加し、

ミュージシャンとして、困っている人たち、悲しんでいる人たちに向けて

自分たちに何が出来るのだろうかということを考え、活動を続けてこられました。


そしてあの震災直後も、

TERUさんは、Twitter上で無料音源を公開したり、被災地の避難所に物資を届ける活動をいち早く行い、

5月には公開録音ライブを実施。チャリティーソング「Thank you for your love」の収益は全て義援金として寄付されています。


クリスマスにはGLAYから石巻の子供たちへ、必要とされていた楽器を贈るなど、

その他にもいろいろな支援はあったのですが、

震災から3年後、

GLAY EXPOを開催していただいたことで、

私達GLAYERも、直接東北の地で支援ができるきっかけをいただきました。


前日の19日、私は仙台空港に降り立ちました。

空港の壁には、当時の津波の高さを示した表示もあり、

3年経ったとはいえ、傷跡はまだ生々しさを残していました。

空港から仙台駅へ向かう途中でも、津波で何も無くなった土地が見え、

心がギュッと苦しくなり、いつもなら楽しくてワクワクしてしまうライブへの道のりも、少し辛かったのを覚えています。


前日は同会場内のセキスイハイムスーパーアリーナ内で「EXPO館」の見学が出来ることもあり、一度会場がある利府町へ足を運びました。


会場周辺は大きな建物などが無く、緑がとてもキレイで、

残暑の季節とはいえ涼しく透き通った空気をたくさん吸うことができ、

田舎者の私にとってはとても癒やされた時間になりました。


20日のライブ当日。

実は、ひとめぼれスタジアムはアクセスが悪いことで有名なんですが、

臨時列車やシャトルバスなども運行され、会場は5万5千人の人で埋め尽くされました。

スタジアムの外では、東北グルメが味わえるブースだったり、

GLAYねぶたなども置かれ、

GLAYの東北への愛情が至るところに散りばめられた空間に。


ライブは、こちらもたくさんの企画が練り込まれたセットリスト。

TERUさんは、「GLAY EXPO MICHINOKU KIZUNA TAIKO」とのコラボレーション。

法被姿で登場し、各地で被災者の想いが綴られた太鼓「希望の鼓」をTERUさんが演奏し、和太鼓アンサンブルを披露しました。

祈るような表情で力強く叩くTERUさんの姿に、被災者ではない私もたくさんのパワーをもらった気がします。

「I'm in Love」では青森・ねぶた祭、秋田・竿燈まつり、盛岡さんさ踊り、山形・花笠まつり、仙台七夕まつり、福島わらじまつりの皆さんも登場。

伝統的な踊りや、楽器の音色を通じて、東北っていうのはこんなにキレイで暖かで鮮やかな文化があって…

「風化させない」というGLAYや東北の皆さんの想いが強く伝わってきたステージでした。


本編はまだまだ書きたいこともあるんですけどね。


アンコールに、GLAYはある大事な作業を行います。


震災で壊れた聖火台に、火を灯すのです。

リーダーのTAKUROさんからは復興に対する想いが語られました。

笑顔を信じて音楽を信じてそして皆を信じてと思っていたらこんなステージに立つ事ができました。
乗り越えられそうにない苦しみだったり、忘れられない悲しみだったり、そうゆうものが音楽によって少しは和らいだり、そんな奇跡の瞬間をこの20年間、皆に見せてもらいました。
東北ではなかなか報道されなくなったことも多いし、復興が進まない事もあるし、だけどその反面少しずつ歩みを進めていることもあります。
本当に今回のEXPOが復興の歩みを進めて行く場になって、そして風化が進むような事が無いように、ここにいる一人一人がちゃんと胸はって生きているんだってことを伝えられたらいいです。
もしかしたらあの聖火台の灯火は消えるかもしれないけども、 GLAYは何度も何度も足を運んでまた必ず皆さんの心の火を灯して行こうと思います。

そして次に演奏されたのは「君にあえたら」

この曲はライブで披露することがあまりない曲なのです。

震災後にTAKUROさんが書かれた曲なのですが、歌詞の内容はファンが聞いてもとても辛く、

メンバーもレコーディングの際、あまりに演奏をするのが辛く、何度も撮り直せないということがあったそうです。

YouTubeでMVを見ることが出来ます。

被災した気仙沼の様子と復興へ取り組む皆さんのドキュメンタリーのような映像になっていますので、見るのが辛い方はおやめくださいね。

涙ひとつ見せず大きな悲しみ乗り越えたあの人に
『僕は夢がある』と旅立ち
もう二度と帰らないあの人に
キツイ仕事それでも毎日毎日戦ってるあの人に
泣き止まない子供をあやしながら
空を見上げていたあの人に
安いウィスキー 煽りながら
深いため息ついてたあの人に
いつまでもいつまでも娘の帰りを待ってるあの人に
あなたを産んでくれた
かけがえのない優しい笑顔のあの人に
あなたの誕生を誰よりも誰よりも
誰よりも喜んだあの人に
そして伝えたい ありがとう
今伝えたい 僕も愛しています

私もこのMVは見るのがとても辛いのですが、毎年3/11に必ず見るようにしています。

そうやって、この日に起きたことを忘れないということが大事なのかなと。そう思うのです。


実際に被災をしたわけではないけれど、

この日宮城へ行けて、EXPOに参加できたことはとても大きな経験になりました。

被災者じゃない私達に出来ることってなんだろう。

3年経った時期だからこそ、考えるきっかけをくれたのがGLAY EXPOだったと思います。

多分、あの場所に集まったGLAYERの方の中にも、そう感じた方が大勢いたのではないでしょうか。


言葉が下手すぎて…何を伝えたいのかよくわからない文章…!


長くなりましたので、次回へ続きますね。


【今日の1曲】

「生きてく強さ」

1995.11.8リリース 7枚目のシングル

かなり前のシングル曲になるんですが、ファンの中では今も名曲の1つとして絶大な人気があるナンバーですね。

最近のライブでも、多く披露してくださってます。

とてもストレートに励まされるような歌詞に、勇気をもらった方も多いのではないのでしょうか。

東北EXPOでも演奏され、会場が一体になって歌ったあの時間は、

今も忘れることが出来ません。

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