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キュゥべえとドクターグリップ【日記:2023/4/30】

いつも通りニュースを見ていたら、懐かしい名前を見つけて目が止まった。
「ドクターグリップ」。中学時代には「クルトガ」と並んでよく使っていたシャーペンだ。他の多くの同級生のペンケースの中にも入っていることが多かったので、定番のブランドだったのだろう。

記事によれば1991年からドクターグリップは発売され、一昨年には30周年記念となる特別商品をリリースしていたんだとか。
いまいち筆記用具業界のロングセラーがどの程度からなのかは分からないが、あの超有名コンテンツ「ポケモン」ですら1996年スタートの26周年。
そう考えると凄い。少なくともポケモンや私よりは年上なので、敬う必要がありそうだ。

ドクターグリップ30年の歴史
https://news.yahoo.co.jp/articles/206d48abdcf955afc40a7d7a51c9d61f45e376ca  より引用

ただそれはそうと、「30年経っても大して変わってないな」と正直思ってしまう。細かい部分での機能性の向上はあったのだろうが、初代が登場した時のような、革新的でビックバンを思わせるきらめきはない。
あくまで初代の延長線上の、言うなれば努力値を振って強化したような段階とでも表現できるだろうか。
もちろん商品として出す以上、余計な変更は逆にブランドを傷つけるだけだし、やり過ぎれば別商品になってしまうというのは分かっているつもりだ。
ただ個人的に、こういった商業的世界の変わらなさというのが、時々たまらなく恐ろしく感じることがある。

多分、これはある種の永遠に対する恐怖なのだと思う。
食も筆記用具もコンピューターも、あまつさえエンターテインメントですらいつの日か全てやりつくされてしまい、完成させてしまうのではないか。
そしてあまねくものは安寧の中、過去の再現をして生きるだけの何かになってしまうのではないか。そんな未来への。
同じことの繰り返しに耐えられない私にとって、そんな世界は地獄だ。

こんな風に思うようになったきっかけは何だっただろうか?
記憶が正しければそれは多分、中学生の時に見た「魔法少女まどか☆マギカ」のキュゥべえの台詞だと思う。
彼から私は、エントロピーという概念といつか宇宙が静止する事を学んだ。そして高専でそれが「熱力学第二法則」という名前であることを知った。
エネルギーや物質が消えたわけでもないのに、全てが終わって止まってしまうというのは、物が潰れたり壊れたりすることよりも恐ろしく、そして身近に感じられたのを覚えている。

新作が売れず、旧作の続編とリメイクばかりになるゲーム業界、100年前から製法が変わらないことを謳うチョコレート、久々に会っても学生時代の思い出話しかしない同級生との飲み会。こういった減速した、平坦になりつつある世界を見ると、時々私は全てをぶち壊したくなるような衝動に駆られる気がします。

もしシンギュラリティが起こって、人のやることが全て消滅したとしたら、私はテロリストになるでしょう。技術を後退させ、人の幸せを取り戻す為。
完成することが常に良いことだとは限らないと私はそう思います。良い完成は次の目的地を生むもので、そうでない完成があるとしたら、それは宇宙の熱的死と変わりがないのだから。


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