八王子の夜と移動する人類【日記:2023/8/18】
筋肉痛で身体の節々が痛い。
昨日、電車に乗り遅れると思って全力ダッシュしたからだ。
夜23時40分の八王子。帰りは行きと違う道を通ろう、なんて遊び心を出していたら、気が付くと最終電車が間近に迫っていた。
幸い、走れば間に合う距離だったが、熱帯夜にこの運動はキツイ。
飛び込んだ人の少ない車内、ポカリのペットボトルを鋭角に傾けながら「馬鹿なことをしたな」と私は思っていた。
溢れ出る汗を拭きながら、バックから本を取り出す。
阿佐ヶ谷駅までは乗り換え1回で45分。読書をするには丁度いい。
読みかけの一冊を手に取り、栞のところで開く。
次第に意識は紙面に集中していき、汗で湿ったシャツの感触を忘れていく。
こうやって、本を読めるから乗り物に乗るのは結構好きだ。
人の少ない深夜や郊外の路線は特に。
本書はこういう一節から始まる。
当たり前のことではあるが、同時に「確かにな」と私は思った。
現に今、移動をしながらそんな文章を読んでいる訳だし、大した用も無いのに八王子くんだりまで来ている訳なんだから。
暑いし、一人だし、家で大人しくしておけよ、と自分でも思う。
しかし、それでも何故か外に出たいと衝動が止められない。
どうしてなんだろうか?
本書はこういうことも言っている。
コロナ禍で多大な苦労をした我々としては、非常に身に染みる言葉だ。
しかし、実際に人が今後移動を止めるかと言ったら全くそんなことはないだろう。
ANAやJALの利用率は戻ってきていると聞くし、結局みんな旅行も外出も大好きだ。コロナ禍の時でさえ、完全に引きこもっていた人はそう多くないだろう。
やはり、合理的であろうとなかろうと、移動をしたがるのが人のサガということなのかもしれない。
右往左往する日々の中、時には無為に思える時間があるけれど、そんな風に思えば少しは自分を肯定できる気がする。
進む列車、流れゆく車窓の光景、圧縮される街並み。
人は今日も移動する。仮にそれが破滅に繋がる道であったとしても。
夏の暑さも病原菌も昏い虚無感でさえ、人の歩みは止められないのだから。
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