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【短編小説】夢死十夜_第一夜 Crescent of Death

 こんな夢を見た。
 夜、刺さりそうなほど鋭い円弧を描いた月が頭上で輝いている。僕はそれを眺めながら、どこかの建物の屋上にいるようだった。
 どうやら、これから飛び降りようとしているらしい。履いていた黒の革靴はご丁寧にそろえられ、その横には遺書と書かれた二つ折りの紙が置かれている。まるで昭和のサラリーマンだ、と思った。デジタル化が叫ばれるこの時代には全く似つかわしくない。こんな感性が僕の中にあるなんて、自分のことながらとても驚きだ。

 そんなレトロな僕に誰かが話しかけてくる。
 鈴を思わせるどことなく神聖さを感じさせる声だ。
 振り返ると少女がいた。黒衣に身を包み、大きくてとても鋭そうな鎌を持っている。背丈はさほど高くない。ハロウィンの夜であれば、義務教育期間中だと言われても信じられただろう。

「私の初めての相手になってくれませんか?」
 沈黙を切り裂いて、少女は突然そう言った。
「はい」
 当然僕はそう即答した。
 別に少女がとても可愛らしいからでは断じてない。僕は世間の下半身至上主義者どもとは違うのだ。死ぬ前にワンチャン、などという下種の考えは一切ない。ただ、困っている人がいるのなら、最後に善行の一つぐらいしてもいいだろう、と思っただけだ。

 ともかく、細かい事情を聴いてみようと思い、僕はすごすごと緑色をしたフェンスを登った。上の方が内側に向かってくの字に折れているので、外側に出るのは大変だったが、戻るのは割合簡単だった。今後活かす機会はないだろう雑学だが。
「私、新人の死神なんです」
 フードから長い銀色の髪をのぞかせて、少女はそう言った。

 どうやら、僕が自殺しそうだから、代わりに殺させて欲しいという話らしい。小さな体をぺこりと折って、少女は一礼。片手で申し訳ありませんが、と言いながら名刺まで差し出してくる。何か文字が書いてあるが、読めない。
「なにかノルマとかあるんですか?」
 あったら悲しいな、とは思いつつ、どうしても気になったので聞いてみた。すると、少女は美しい顔を小さく歪め、
「一日四人……」
と呟いたので、僕は、
(今日、後三人も殺さないといけないなんて大変だな)
と死神界の労働環境に一抹の憂いを覚えてしまった。
 きっと彼女たちの世界には、労働基準法もないんだろう。

 「それなら急がないといけないですね、早速ですがやっちゃいます?」
僕は努めて陽気な調子でそう言った。例えるならそう、ヤクザの下っ端が兄貴分にお伺いを立てるときのように。
「そうですね、はい。やっちゃいましょう! ……ちなみに、お好みの殺され方ってあったりしますか? 首を狙ってほしいとか、心臓の方がいいとか、なにかそういうの」
 少女もこれまた軽い調子でそう返した。なんだか美容室みたいだ。
 僕はふと、最近髪を切っていなかったことを思い出したが、今更のことなので、今世はメカクレ系のままあの世に行くしかないだろうと諦めた。

「じゃあ、その鎌で前から心臓を一突きにしてもらっていいでしょうか?」少し悩んで、僕は少女にそう告げた。
 首が落ちてから数秒は意識がある、という通説の検証をしてみるというのも魅力的だったのだが、何より少女の顔を見ながら死ぬことを優先したかった。
 僕の血を浴びて佇む彼女の姿を想像すると、今から胸が躍る。可能な限り心拍数をあげて、威勢のいい赤の噴水を演出したいものだ。

 それから、30分ほどかけて、僕たちは角度やタイミングなどの打ち合わせをした。少女は面倒くさそうな顔をしていたが、僕としてもここは譲れない。人生最後の瞬間をおざなりな作りにはしたくないから。たっぷり時間をかけたので、背後で電車が通る時間まで計算済みだ。
 その時、強い風がびゅー、と吹いた。――寒い。
 自然のことは正確には分からないが、多分人生最後に浴びる冷たさだろう。そう思うと、何の変哲もないこの感触が奇跡的なもののように感じられる、そんな気がした。

「それでは5秒前、4、3、2……」
 きらめく生命にに別れを告げて、昏い闇に向き直る。演出は完璧だ。
夜に屹立する都市のビル群をバックに大鎌を振りかぶる少女。その美しい顔を幻想的な月光と、現実的なLED電灯が十字に照らす。遠くでは山手線が走り抜け、眼下の地上の喧騒とハーモニーを描いている。
 迫りくる三日月色の刃を、僕は両手を広げて向かい入れる。

 そして――
ずぶり、と金属の質感が胸の中心を貫いた。
 夢なのに、ものすごく痛い。子供のころ、腕を折った時の数倍の情報量だと思う。ついで、口から大量の赤があふれ出した。鉄の匂いが鼻をくる。
僕はくずおれて、膝をついた。自然、湾曲している刃が抜けて、血が噴き出す。シャワーのように、少女の黒いローブを汚していく僕の命。きっと、しばらくは落ちないだろう。そう思うと、なんとも満ち足りた気分がする。
 少女の方はというと、得に気にした様子もなく無表情をさらしている。
死神にとって、人間の血なんて水みたいなものなのかもしれない。

 しばらくして、そんな饗宴の時は終わった。数秒のことだったが、僕の数十年分を圧縮するにたる価値はあったと思う。
 力が抜けて、僕は前向きに倒れこむ。だんだんと視界も暗くなってきた。
その時、強い風がびゅー、と吹いて、少女が深くかぶっていたフードを攫った。
「………………きれい……」
 素直な感想だった。赤い化粧は少女の銀と黒を際立たせて美しい。
 赤は女を美しくする、というのは本当だったらしい。

 ……時間だ。急だが、直感でそう分かった。少女の姿も、夜の空気ももう感じられない。少しだけ寂しいし、少しだけ嫉妬する。
 今日、これから殺される残り三人に。初めてなんだから、そんな日ぐらい、僕に独占させてくれたっていいじゃないか。もしも地獄があるのなら、死神の待遇改善について、一度提訴してみようかな。

 死のまどろみに包まれながら、僕はそんなことを考えていた。
――願わくば、初めての殺しとして、少女の記憶に残れることを期待したい。遠くの夜空には、吸い込まれそうな三日月が一つ浮かんでいた。

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