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信頼成分120%含有のサプリメントです【日記:2023/5/30】

私の食生活は基本的に偏りに偏っている。
安くて手間がなく腹が膨れることを最優先にしているので、メニューは炭水化物&炭水化物&脂質がベースで野菜などはほとんど取らない白飯&パスタ&唐揚げのようなメニューを1日に1~2回取るだけと言えば分かりやすいか。
ともかく、そんな生活をしているので私の体内栄養バランスは悲惨の一言だと予想される。
一応私も理学部出身なので栄養素の重要性は分かっている。だが、野菜は高いし、調理が面倒なので食べたくない。
そのため、私はいつもサプリメントを飲んでいる。

こういうことを親や友人に話すと、「サプリメントは意味ない」という言われ方をする。無論、私はそれを無視しているが。
理由は色々ある。前述の通り面倒だというのもあるが、単純にサプリメントが効かないというエビデンスがないからだ。
私は自分のものぐささを託すため、サプリメントの効能を信頼することに決めている。であれば、その信頼を切り崩すには否定するにたる明確な根拠が必要だというのが自明だ。確かに「サプリメントが効く」という明確なエビデンスもないが、それは信頼によってカバーされている。

こういう人間は、恐らく私の他にも沢山いるだろう。
別に特別な光景ではないが、改めて考えてみると面白い。
私を含めた彼らは、目には見えず、明確に根拠がないことを信じているわけだが、これはオカルトや宗教と呼ばれるものと性質の意味では同じだ。
違うのは、科学というマジョリティの考えでパッケージングされているか否か。”私”の身体に”この”サプリメントが効くかなんて、どこの論文を見ても立証なんてされていない。”誰か”の身体で”どれか”のサプリメントが効いたというデータはあるかもしれないが、それはあくまで他人の話。
処方箋の時によく言われる、”個人差”という程度でしかない。
それは、皆には見えないけど”私”には”霊”が見えると言っている霊能者と大差がないと思う。
だが多くの場合、人は科学的なベースに乗っている物には信頼を寄せ、オカルトに関しては馬鹿の空想として片づける。
私はオカルトを信じているわけではないが、上述のような理由から完全に否定する気もない。プラシーボ効果だって、人間の自然治癒の力などではなく、祈りによって神が慈悲をくれたのだと説明することだってできるしね。


世の中というものは、最終的には信頼によって成り立っている。
それは決して悪いことではないし、それができることが人間の強さだと私は思う。誰もが他人を信頼せず、一から車輪を作り始めていたら、数千年経とうが車を作ることはかなわなかったのだから。
だが、信頼はしつつも疑いの目を忘れるべきではない。信頼による恩恵と騙されることのリスクを鑑みて、自ら選択すべき。
深く見るには解像度が足りていない私たちの眼だからこそ、少しでも頭を動かして広い世界を見ることを心掛けたいものだと思う。


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