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知の巨人の肩からゲロを吐く、ヒトリノ夜【日記:2023/6/19】

サルトルの『嘔吐』を読みました。
サルトルといえば、20世紀フランスの実存主義哲学者、「実存は本質に先立つ」という言葉で有名な人物ですね。

小説の内容としては、ロカンタンというある一人のディレッタントの書いた日記という体裁を取っていて、街をウロチョロしながら内心喫茶店にたむろする老人に毒を吐いたり、急に落ち込んで仕事のやる気を無くしたりする様子を記述しています。
日常的というか、文学的というか、外の風景と主人公の心情の描写ばかりで動きがないのは少々退屈なのですが、淡々としつつどこか気だるい感じの文体が格好よくて非常に良い。

この退廃的な雰囲気は本全体に及んでおり、主人公ロカンタンは時折謎の”嘔吐感”に悩まされるという症状にかかっているという設定もある。
別に病気という訳ではなく、そういう気がするというだけですが……
彼は不労所得で生活ができてしまっているが故、やるべきこともなく孤独に生活をしているんですよね。しかも結構な夢見がちの理想主義者なので、自分に嘘をついて適当に遊んで暮らすということもできないでいる。

そんな彼を象徴しているのがこの言葉。

何かが始まるのは終わるためだ。冒険は引き延ばされるものではない。冒険は自らの死によってのみ意味を持つ。それはおそらく私の死でもあるのだろうが、その死に向かって、私は戻ることもできずに引きずられていく。

ジャン=ポール・サルトル著/嘔吐 P66

これだけでも彼の尖りっぷりの一端が分かると思う。終わらないと、死なないと意味を持てないというのは、個人的にも全く正しいと思うのだが、それを日常にも適応すると色々大変です。大抵の場合、イキっている奴だと思われてドン引きされるのが関の山です。
……というか、”彼の尖りっぷりが分かると思う”とか言った後に、自分で”彼の言うことには共感できます”みたいなことを言うのダサかったな。
主張)”初カキコども……”のコピペの子みたいに、異端の俺かっけぇ、をやってしまっていましたね。すいません。

そんなつもりはないんですけど、この作品の主人公ロカンタンが持っている”この世って意味なさすぎワロタ。もっとちゃんと伏線回収しろよ”という気持ちは私の中にもある。
この世はもっと整然としていて、物語のようにきめ細やかであって欲しいという気持ちが。なんならそれに『ドラマチックシンドローム』という名前を勝手に付けて、学生の頃から一人で使っていました。
(前に日記でも書いた)

主人公ロカンタンがこの気持ちに折り合いをつける為、意味ある世界、つまり小説を書くことを決意してこの物語は終わる訳ですが、実は私も昔同じようなことを思っていたり……
私も20歳頃かなり悩んでいたんですが、こんなところに近い回答があったなんてビックリです。

自分は異端で孤独な奴なんじゃないか、などと酔っぱらって恥ずかしいことを考えていた時期もありましたが、改めて安心です。
孤高ぶるには、『嘔吐』は有名過ぎる。
ただこの自意識が多くの人に読まれてきたのだと思うと、安堵の反面、所詮一杯いる奴の一人なのか、と落ち込みもしますね。
なんたってこちらはサブカル野郎。幾千もの夜をヒトリで超えてきたわけで、好きな作品が有名になると途端に好きじゃなくなったりするめんどくせぇ馬鹿ですから。


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