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勝利の美学【日記:2023/4/27】

最近、推理ものを読んだり見たりしていて気づいたのですが、
私は犯人を追い詰める証拠を、犯人の自供に頼るタイプの解決が好きではないようです。
具体的に言うと、最近見た中では「ポートピア連続殺人事件」と「劇場版名探偵コナン 黒鉄の魚影」の事件。
動機面やアクションに力を入れている一方で、謎解きは相手のミス待ちで、その人物が犯人だという証拠が論理的に提示されてはいなかったように思えました。(たまたまと言えば十分言い逃れできる気がするし……)

事件の性質によっては、ほぼ謎は解けているものの決定的な証拠がない。
だから最後の一手だけは、カマかけによる相手のミス・自供を誘って詰めるというやり方を取るものがありますが、さすがにこれについてはしょうがないと思っています。
論理的に謎は解いていて、犯人と殺害方法を99%明らかにしているので、頭脳戦としては探偵・刑事側の勝利でしょう。(証拠が必要なのはあくまで法的に逮捕するため)

私としては、推理ものというのは探偵役と犯人の頭脳バトルなので、謎解きの方法は証拠品やアリバイを用いた論理的な帰結であって欲しい。
動機や言動、行動の癖は疑念を抱くきっかけであり、それだけで100%決めてしまうというのは、何と言うか謎解きの美学に反している、そう思ってしまいます。(例えるなら、謎解きパズルを印刷のズレとかそういうメタ的視点で解いてしまったようなそんな感触)

そんなことを考えていたら、急にこのシーンを思い出しました。
これは遊戯王の原作漫画、バトルシティ決勝トーナメント第一回戦「遊戯VSバクラ」の決着のシーン。
ご存じの通り、遊戯王では千年アイテムに宿る闇人格というものがあり、この対戦も正確に言えばその人格同士「闇遊戯VS闇バクラ」のカードでした。

このシーンにおいては、バクラは遊戯をギリギリまで追い詰めたものの、神のカードで逆転され負けが確定したという状態。
遊戯が攻撃宣言すれば終了なのですが、ここでバクラの協力者であるマリクが横やりを入れてくる。バクラの人格を元々の身体の所有者である表バクラに返し、怪我の影響で瀕死の彼を盾にすることで遊戯に攻撃を躊躇させて、反則負けさせようとする姑息な策を弄して。

闇バクラもその策の有効性には同意しているのですが、最終的に彼は「オレ様にも気に入る勝ち方と気に入らねえ勝ち方があるんだよ…!!」と言い残し、自ら攻撃を受けて敗北を選ぶ。

その姿が悪役ながら、とても潔くてカッコよくて、初めて読んだのはずいぶん昔の頃ですが、とても印象に残ったのを覚えています。
(マリクがずっと裏でこそこそやっていて、負けると一人で悪態をついていたりするダサい悪党だったので余計に)

読み返してみると、バクラって終始こうなんですよね。
何だかんだずっと正面から戦いを挑んできて、あくまでルールに乗っ取った上で勝とうとする。負けるときはきっちり負けの代償まで引き受けて消滅する。(用意周到なのですぐ復活する)
悪役ですけど、遊戯王という作品においては割と理想的なゲーマーです。
だから人気あるんでしょうね。(ペガサスもマリクもすぐズルするし)

昨今トレーディングカードゲーム界隈では、ポケモンカード中心に転売問題が取りざたされていますが、そんな時こそ闇バクラのマインドを皆さん思い出していただきたいところ。
たとえ貯金ポイントが0になったとしても、「ヒャハハハハ!」と高笑いを上げて生きていく、そんな美学のある闇の無職を目指していきたいものですね。


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