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薄っぺらな天才は、才能が透けて見える。天才は、才能を忘れさせる【日記:2023/3/6】

岡本太郎という芸術家を知っているでしょうか?
詳しくは知らないという方でも、彼の残した「芸術は爆発だ」という言葉や大阪万博のために作った太陽の塔の画像などは目にしたことがある方が多いと思います。
一目見て彼の作品と分かる圧倒的個性、マスメディアへの露出の多さと破天荒な言動、戦後日本で彼以上に有名な芸術家は恐らくいないでしょう。

そんな彼は、書籍の中でこのような言葉を残しています。

今日の芸術は、
うまくあってはならない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない

私が主張する芸術の三原則だが、職人芸はまさに逆。
うまく、ここちよく、きれいにできるものが職人芸であり、そこには芸術の感動がない。
(中略)
絵描きたちはいわゆる「芸術」というパターンをなぞる職人芸術屋と言った方がいい。

誰だって芸術家/岡本太郎

職人の事嫌いなの?と思うぐらい、本の中で彼は職人的な人をこき下ろしているのですが、要するに”芸術って技術じゃなくて主張だよね”ということが言いたいのだと思います。
その手の言葉は使い古されていますが、彼が言うと説得力が違う。
職人と比較して考えたことはなかったですが、そう説明されると分かりやすい。

これを聞いて、私は同時にこの言葉を思い出しました。

薄っぺらな天才は、才能が透けて見える。天才は、才能を忘れさせる

サクラノ詩/夏目圭

これは、18禁ADVサクラノ詩・サクラノ刻で何度も引用される言葉です。
本2作の重要キャラ夏目圭の台詞で、”天才”という概念をシリーズが捉えていたかを表す言葉としてとても印象に残っています。

私はこの言葉を、『真の天才はセンスだけに頼ったりはしない』みたいな意味として浅く捉えていたのですが、岡本太郎のおかげでようやく腑に落ちました。

岡本太郎的な言い方をするならば、薄っぺらい天才というのは技術に頼った職人で、絵描きであっても芸術家ではない。
真の天才というのは、作者が捉えた世界の真実・作者の主張という物を表現する物であり、彼らにとって技術はあくまで手段でしかない。
言い換えるのであれば、薄っぺらな天才の作品は「HOW?」であり、真の天才の作品は「WHAT?」あるいは「WHY?」ということなんでしょう。

芸術というものの見方が広まる良い発見でした。
そう言う見方で、もう一度プレイしてみたら彼らの芸術論が理解できるかもしれません。
夏目圭の「向日葵」は草薙健一郎の「横たわる櫻」は何故素晴らしいのか、草薙直哉の芸術家としての天才性は何処にあるのか、再度理解をし直してみようと思います。
プレイ済みの方、副読本として岡本太郎オススメかもしれません。



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