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デザートのような夜、ただの夜【日記:2023/6/20】

最近気づいたのですが、イルミネーションって深夜になると消えるんですね。
もちろん、全ての場所がそうだという訳ではなく、私の自宅近くにある物に限ってという話ではありますが。
たまに深夜散歩に出たり、コンビニに行った時には光がついていないので、大体夜の11時を過ぎると消灯されるのだと思います。
一晩中つけていると電気代がもったいないから、人通りが比較的ある時間だけ点灯させるという判断なんですかね?
(家用のイルミネーションで一晩18円ぐらいらしいので、このレベルの電飾が何本かあるぐらいじゃ大した金額にはならなそうですが……)

まあ、もっと大規模なものを24時間やってる所もあるので単に杉並区が倹約家気質なんでしょう。
どちらにせよ、その時間が世間にとって、エンターテインメントとしての夜とただの夜の境目の時なのだと思う。無職のオタクからすれば、0時超えてからが夜本番とすら感じられるが、普通の社会人からすれば11時ですら結構遅い。翌日が休日であっても、そろそろ終電を意識しだす頃、平日であれば睡眠時間が減ることに落ち込みながら帰る時間帯だ。

昼を食べつくした後にやってくる、デザートのような夜は短い。
それは社会に生きるものにのみ許されたアディショナルタイムのようなもので、そうであるが故に次の昼のため使える時間は限られてくる。
電車が止まって、静かになった街を包む夜はそういった夜とは性質が違う。少なくとも甘くはないし、笑えるほどに愉快でもない。
多くの社会人にとっては、休むための時間であり、ただ暗いだけの夜。蠢く不適合者にとっても、それは自らの孤独を強調するだけの空虚に他ならない。
イルミネーションは夜に点くものに見えて、実際のところは昼の延長に属する物なのだと思う。暗闇をキャンバスにしているとはいっても、あの眩しさはとてもではないが夜のものではない。

なんだか文章を書いていたら、どことなくメランコリーな気持ちになりましたが、よくよく考えたら全然イルミネーション好きじゃないことを思い出しました。別に私が出歩く時間に光が消えていても、それで疎外感を感じる必要は全くなかったです。
むしろ彼らが知らない静かな夜の風味を誇るべきでしょう。
電飾が消えた暗闇の下眺める月の輝き、誰もいない公園の不気味さと儚さ、鳥たちの鳴き声が織りなす夜明けのクレッシェンド、そういうものを。
夏の夜は散歩をするには丁度いい。最近深夜散歩していなかったけど、久しぶりに行ってみようかな。
消えたイルミネーションよりも美しい闇がきっとそこにはある。


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