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SNS上で行う論争の無意味さ

SNS上で関係の出来ていない人との論争は極力すべきではありません。
むしろ論争はしないと決めておく方がよいかもしれません。

すべきでない理由としていくつかの理由をあげることが出来ますが、端的に言えば時間の無駄とストレスが溜まるというところに帰結します。

SNS上での論争が無意味に終わる根本的な問題としてお互い自分の主張を絶対的に正しいものとし理解し合おうとしないという点があります。

もちろん私はそんなことはないという人もいると思いますが、お互いにそうでなければ議論は健全に進みません。

基本的につっかかってくるような絡み方をしてくる人は論破したい、言い負かせたいという気持ちを強く持っている人が多く、建設的な議論が出来る訳ではないので、論点をズラしたりどうでもよい部分、言い間違えなどをを繰り返し突いてくるので延々と話は続きしかもループしがちです。

やり取りを冷静に分析してくれる人、あるいはギャラリーがいたりルールがしっかり決まっている上での論争であれば決着の仕方も決まってくるでしょうが、突如として始まった論争にはそういった環境にないので、黙ってしまった方が負けといったようなレスバの暗黙ルールを意識してしまい絡まれてしまった方もなかなか止めることが出来なかったします。

また、自身の意見に同調してくれる人が現れれば精神的に余裕が生まれ途中で返信をやめても同調してくれている人には「この人には何言っても無駄だから相手するのをやめたんだな」と思ってもらえるというような勝手な思いではありますが、わだかまり少なくフェイドアウト出来たりします。

しかし逆に相手の意見に同調してくる人が現れると複数の相手をすることは大変ですし、自分が間違っているような気にすらなってしまう人もいるでしょう。

こういった事態を回避するためにも自分にとってなんの関係もない意見の合わない人とは話を進めない方がよいです。

話は少しズレますが国会でのやり取りなどを見ていても資料にある誤字に関して論争していることがあります。昔からあったことであれば申し訳ないのですが、これも時代の流れの1つで建設的な議論をすることよりもとにかく些細なことでも相手のミスをつき論破し勝っている印象を作りたいという手法になっているのかもしれません。

話を戻しますが、ネット上、SNSの流れとしましては、Blog→Facebook→Twitter→Instagramと、文章をどんどん短くしていく流れで新しいサービスが登場して来ました。

このことと関係しているかはわかりませんが、読解力のない人、長い文章の読めない人が増えて来た気がします。あるいはもともと読解力のない人は多くそれがネットサービスの普及と共に顕著になっただけかもしれません。

新井紀子さんが書かれた「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」という本の中に以下の問題が掲載されています。

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以下の文を読みなさい。
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

Alexandraの愛称は(  )である。

1.Alex 2.Alexander 3.男性 4.女性
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この問題の正解率は、中学生(235名)で37.9%、高校生(432名) で64.6%だったそうです。

以下の問題は大人でも間違えが多かったそうです。

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アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

セルロースは(  )と形が違う。

1.アミラーゼ 2.デンプン 3.グルコース 4.酵素
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普通に読めばわかるわけですが、間違えてしまう人は現にいるわけです。
そういった人は単語1つ1つの意味はわかるのかもしれませんが、こちらが何を伝えたのか言いたいのかを言葉、文章として理解出来ないので、やり取りが噛み合わずに本当に無駄な時間を過ごすことになります。

ちなみに最初の問題の答えは1.のAlexで、次の問題の答えは2.のデンプンです。

言ってること伝えたいことを理解してくれた上で、なぜそう思ったのかを理解しようとしてくれる人であればコミュニケーションは成り立ちますし、有意義な時間を過ごすことが出来るのでしょうが一方的に意見、価値観を押し付けてくる人はもちろん、こちらが言っている意味を理解出来ていない人とは会話自体成り立ちません。

そもそも言ってることをお互いに理解していたとしてもどちらかが正しいかというような流れになるのであれば面識のない人との会話は続けない方がよいのです。

SNSでの議論は討論ではなく対話的で有るべきだと私は思うのですが昨今は論破することがブームといいますか社会現象化しているため、流行りのSNSの中での議論を対話的な方向にシフトしていくことは難しいでしょう。

ゆえに、見知らぬ誰かと意見を交わしたい場合には論ずる際のルール、共通認識を持った人が集まっている場以外では行わない方が健全です。


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