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《読書日記》【死にたいけどトッポッキは食べたい】ペク・セヒ

あらすじ

カウンセリングを通して明らかになっていく、自分の本当の気持ち。毎日の憂鬱から始まった、自分探しの旅を、対話形式で疑似体験できる。自分とは?人生とは?仕事とは?家族・友人との人間関係や、見た目のコンプレックスとの付き合い方まで。生きることが少しだけラクになるヒントが詰まった、韓国エッセイ。

《1日中憂鬱でも、小さなことで一度くらいは笑うことができるのが、生きることである。》

悩みや不安が邪魔をしてばかり、いつになったら私の人生はきちんと生きるための“ちゃんとした”ものになるのだろうか…。いつもそう思っていた。しかし、この状態こそが人生だったのである。衝撃。

毎日が楽しくて、充実して、笑って…というのは単なる理想であり、生きるということはもっとささやかで、不安や悩みが常にあるのが当たり前。それらがなくなってから、ちゃんと生きよう、というのは違ったんですね。

それがわかっていれば、多分もっと生きることがラクになるのだろうなと思うけれど、“生きることはつらいことだ”と認めることって、すごく怖いし、難しいことなんだよなあ。

《羨ましいという憧れと、自分を卑下することは異なる。》

憧れを否定的に考えてしまうと、自分なんて駄目だという思考につながってしまう。これは現代社会の根深い問題ではないかと思う。つまり、SNSである。

素敵な食事、素敵な暮らし、素敵な彼氏、素敵な体形、素敵な、素敵な…たくさんの“イイネ”がついた、様々な素敵なツイートを見ていると、なんだか自分がつまらない存在のように思えてきてしまう。私もそういう時がある。かと思えば、この人良いな、このやり方良いな、真似してみようかな…と肯定的にとらえられる時もある。この違いで自分の心がポジティブにもネガティブにもなる。否定的にとらえてばかりの時は、やっぱりしんどい。

そんな時、できることは一つである。SNSから一時的に距離をとる!
猫動画とか日常アニメとか観よ。

《他人がどうこう言うことよりも、自分が嬉しいことの方が大切。》

いつでも、自分が本当にやりたいことをやる。自分がやりたくないことはなるべくやらない。それが本当の意味での、“自分を大切にする”、“自分に優しくする”ということなんだと思う。本当に自分の気持ちを理解してあげられるのは自分だけなんだと、大人になってからたくさんの場面で痛感してきた。

それならば、他人の“どうこう”を聞く前に、自分の心の声を聞いてあげたいと思う。それがどういうことだかわからない、自分の本当にやりたいことがわからない、というのが著者の悩みであったが、その場合の対処法を既に私は知っていた。

私の愛読書の一つである【感情をひとやすみ】という本に、そういう時はまず、自分を休ませ、リラックスする時間を取ると良いと書いてあった。好きなモノやことに囲まれて、ゆったりとした時間を過ごしているうちに、“あれをやってみたいな”、“これをやってみようかな”と、自然に心の声が聞こえてくるようになる、と。そういう時間、積極的に大切にしていきたいですね。

《愛情を分散させた方が良い。》

これはいろんなところで耳にする言葉であるが、愛情を集中させてはいけないのは、主にパートナーなどの“一緒に過ごすことの多い、近しい人間”に対して、ということだろう。そんな存在に愛を集中させることを避けるために、分散させるものを他にたくさん用意した方が良い、という考え方である。

最近、“真実の愛とは何か”ということを謳う番組をよく観ているけれど、私は真実の愛というのは“放置”なのではないかと思うことがある。まず、信頼し合っているのは大前提で、自分には相手の他にも一生懸命なことがあり、相手にも自分の他に一生懸命なことがある。でも、信頼し合っているから、良い意味で、放置できる。そんな関係が私は理想である。


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