見出し画像

みかん園に1区画だけのキャンプ場開設#6 目的は小さな革命。

みなさん、こんにちは。
トップの画像は、先週までの進捗です。いよいよウッドデッキをつくりはじめました。
過去に2×2mのデッキはつくったことがありますが、今回は5×5.8mなので、根太の構造から考え直す必要がありました。できるだけローコストで、かつ安全性の高いもの。ポイントはそこです。
明日は残り半分の土台を完成させ、今週後半に天板を張り、防腐剤を塗ったら完成です。翌週からは薪風呂の設置を始める予定です。

さて、以下が今回の本題。そもそもここは、何のために創る? について。

グランピングなのか、ここは?

以前、講談社より発売されていたグランピング専門誌「GLAMP」をつくっていました。もう7年前のことです。そこでは海外で蠢き始めたグランピングの最新情報を出しつつ、日本はどうだ? と問いかけることも考えていました。
紹介したかった、そして日本にこそしっかり導入したかったグランピングとは、
快適だと思える最低限の設備で、自然の強さや美しさと対峙する
楽しみ方でした。
もちろん僕は編集長ではなく編集の頭でしかなかったので、入れられないことも多々ありましたが、それでも少しは、文化を紹介する役目は果たせたと思っています。
ところが。

ビジュアルは僕に決定権がないので、そこは、まぁw

結局、今のところ主流となってる「グランピングと呼ばれている施設および体験」とは、大きなワンポールテントやドームテントにベッドルームやリビングを、映える感じで置いて、食事はBBQ。
そんなところです。
地域性(地域の食材を使った、といったリップ・サービス的なことではなく)、土地やそこの人との交わりなんてものはありゃしない。
グランピングどころか、チャランピングです。

それなら、ホテルに泊まったほうが安くて快適。
運営サイドの提案にまんまとのって、それが本物だと思われている感じがして、悲しいやら寂しいやら。

そんなこんなの反省をふまえ、いま自分がつくろうとしている空間は、確かに自分の頭の中にあるグランピングとも言えます。
が、この単語は使いたくないな、と。
もはや死後にしてしまいたいくらいw。
これからオープンさせる小さな、小さな空間は、言うなればキャンプスペースです。
最低限の快適な場所、そして工夫したり創作する余地を盛り込んだ、少しばかりの不便さがそこにあります。

不便とは、不便なだけなのか。

さて、なぜ不便さを盛り込むのか。
今回キャンプスペースを開設するのは農園内です。しかも省農薬でみかんを育てている、稀有な場所です。
例えば水を節約する、トイレは水洗だけれどもバイオトイレである、とか、来訪者にはときに不便と感じられることが、農園の環境維持のためには守るべきことだったりします。
場所が大自然のフィールドでも、同じことですね。
人が使ったことで汚れる、悪くなるなんてのは、キャンプではない、ただの汚染だと思うのです。

少しばかりの不便さで、そんなことに思考を向けてもらえたら、と考えています。

みかん山では、定期的に剪定した枝が薪として出てきます。
だから、薪で沸かす風呂を設置することにしました。
薪の料金は、施設利用料に含みます。
お一人様何束、という基準を用意するのではなくて、薪がドバっと積んである場所から、自由に使うスタイルです。
どのくらい使うかは個人の裁量に委ねますが、他の人にも楽しんでもらえるよう、考えながら使ってね、という暗黙のルールを設けます。
火の熾し方は、ブックレット的なものをつくり(本職なのでサクッとつくれます)、いくつか紹介しておこうと考えています。

あと、農園主に声をかけてもらえれば、園内を散歩してもらえます。
みかん栽培は一般的に山の斜面に段々畑をつくって行いますが、キャンプスペースを開設するみかん山は、なだらかな斜面にあります。それこそが貴重で、加えて海が見えます、空も近く、鳥の声も聞こえます。
季節によっては山菜摘みや、フルーツの収穫もしてもらえます。


明確にはしませんが、感覚的に災害時における動きの足しになればと、これらのこと(や、その他のこと)を考え、用意するつもりです。

不便さは、ある一方向から見れば不便だが、他方から見れば有益だし、守るためには大切だし、貴重です。

自然の中に身を置き、しばし過ごすということは本来、日常では感じ得ないことにアンテナを向け、感じ、動くことなのではないか。
そのあたりを体感してもらえたらいいなぁ。それが僕がつくるキャンプスペースに込める思いです。


自分の中では、小さな革命だと、考えています。
注文の多いキャンプスペースですねw。