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永遠にコミュ障。

 死後の世界ってあるのだろうか?
 つまり、死んだ後の世界。
 例えば、病気で死ぬ、事故で死ぬ、ジサツやらタサツやら、いろいろあるけど、そうして死んだ人たちって、みんな、どこかの世界に追いやられてるんだろうか?
 死んだ人はこちらでーす、みたいな。
 なにか、そういう案内みたいなのがあって、それに従って、死んだ人たちは選別されているのか?
 ぜんぶ私の妄想だけど。
 でも、そうやって、なにかしらの形で、死後の世界があるのだとしたら、ちょっとかわいそうかな、と私は思う。

 だって、世界があるなら、この現実と同じように、社会やら、仕事やら、人間関係やらがあるはずで、なら、そこで生きていく、というか、死んでいく、というか、やっていくのは、また大変になると思うからだ。

 なぜ私がこんなにも死後の世界について考えているかというと、つい先日、私の友達が死んだからで、名前は伊藤アイナちゃん。中学二年の女の子で、小柄で、目つきは悪いけど、それなりにかわいかった子だ。
 かわいかった、ということにしておきたい。
 なぜなら、アイナちゃんは殺されたからだ。
 何者かに、包丁で刺されて。
 公衆便所の個室のなかで、血まみれで見つかって、便所の汚れと血とがまざりあって、現場は大変だったらしい。
 公衆便所で、女子トイレで、なら犯人は女性かも、と私は思っていたが、大人によると、そんなのはわからないらしい。
 男性って可能性もある。
 誰である可能性も。
 ただ、汚い公衆便所を調べるのが大変過ぎて、全然捜査は進んでないようだが。

 私が最後に見たアイナちゃんは、カンオケの中で、バラバラになった箇所も縫い合わされて、それなりに女の子の死体としての体裁は保っているようだった。
 でも、それはまるでツギハギだらけのぬいぐるか、人形みたいで、なんか全然、私の友達としての伊藤アイナちゃんって感じがしなかった。
 もういないんだ、と私は思う。
 私の友達、私のアイナちゃん。
 さようなら。
 そう思いながら、縫い合わされた(元)アイナちゃんを見ていると、なんだか色んなアイナちゃんの記憶がよみがえってきて、普通に泣けてくる。
 でも、それを、他の参列した(させられた)クラスメイトに見られたくなくて、私は顔をうつむかせて、席に戻る。

 死んだアイナちゃんは、どこへ行くのだろう?
 私はそればかり考えている。
 死後の世界でも、やっていけるのかな?
 それとも、死んだ人間を、現実の人間と同じように捉えるのはおかしいだろうか?
 どうだろう?
 あやふやなイメージを抱えたまま、葬式が終わり、クラスメイトたちで列になって、帰路につく。
 みな、口数が少ない。
 クラスメイトが死んだから?
 空気を読んでるから?
 なんでもいいが、いつもこうして静かだったらな、と私は思った。
 男子はうるさすぎる。
 アイナちゃんが死んだのが分かったときだって、教室内で男子は大騒ぎだったし、元々アイナちゃんは(前述の通りに)地味な顔立ちで、モテるわけもなかったから、余計に不自然で、気持ち悪くて、ある男子が、このことを、「アイナ・ザ・エンド」とか言ってバカにしたこと、私は忘れていない。
 男子はバカなのだ。
 バカな男子に囲まれて、女子の友達もそんないなくて、そんな地味系女子が、果たして死後の世界とやらで、幸せになれるのか?
 天国で?
 どうだろう?

 コミュ障は、きっと天国でもそうだろう。
 そして永遠にそのままだろう。
 死ぬことに救いを求める?
 転生輪廻とか?
 天声人語に感化され、感染少女が夢を吐く。  
 これはデザートの歌詞だが、とにかくそんな感じで、私は生まれ変わるとか、アイドルとか、信じられずにいる。
 だって、ウソだし。
 人は、変われないし。

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