見出し画像

はじめまして。

おはようございます、こんにちは、こんばんは。
自分の思いを文字にしたくてnoteを始めてみました。

くるみといいます。
日本のあるところに住んでいます。
フィットネス系の仕事をしています。
アニメや映画、小説、漫画を見たりカフェや雑貨屋さんを巡ることが好きです。
いつかはアニメの脚本を書いて、誰かに喜んで感動してもらいたいです。
お肉が好きです。焼肉としゃぶしゃぶなら、しゃぶしゃぶに軍配が上がります。
もちろんそれ以外も好きです。

このnoteを始めようと思ったきっかけは、私が吃音という障害を抱えているからです。吃音というのは、話したい言葉は頭に浮かんでいるのにそれがスムーズに出てこないことを言います。治療法はまだ確立されていません。
私は小学3年生のころ、言葉が詰まることを自覚しました。それまで生きてきた時間以上の年数をこの障害とともに過ごしています。
私はいつも話す時、あるいはそうでないときにも、話すことに不安を覚えます。これを話したいけど詰まったらどうしよう、4月になれば自己紹介がある、自分の名前も言えないなんて絶対に引かれる、なんてことをよく考えていました。
そんなことを考えるうち、だんだんと他の人を妬むようになっていきました。授業で発表するときには緊張して詰まったらどうしよう、と他の人が言っていても、それは病気ではないから何を心配する必要があるんだと苛立つこともありました。
自分と他人に完全に線を引いて、別もの扱いをしていました。それはずっとずっと長い間、私の知らないところで私の思考を縛り付けていました。

しばらく時間が経って、他人にも私と同じように悩んでいることがある、と気づいたのは何年も先、仕事の研修でのことでした。私は最初の自己紹介から吃音のことを話していました。それまでは大勢の前で吃音を公表することはなかったけれど、仕事になると隠しても不信感に繋がってしまうと思ったからです。研修も終盤に差し掛かってきたとき、全員で輪になって本心を言い合う機会がありました。そこでは最初の1週間で、自分はこの仕事は向いていないんじゃないかと思って辞めることを何度も考えた、という人が何人もいました。泣きながら本音を打ち明ける同期を見て、私もまた他人に踏み込もうとせず殻にこもっていたのは自分だったと自覚したときには涙が出ました。

私は長い間、吃音について何度も何度も逃げ出したくて、他人を羨んで妬んでできない自分を正当化していたのだと気づきました。

いま、吃音に悩んでいて誰かを羨んで妬んで自分と比較して落ち込んでいる人は、どうか、あなた自身の可能性を信じてあげてほしい。吃音はあなたの可能性を潰すものではない。やりたいと思ったとこはやっていいし、その結果や出来を他人と比べなくて良いんだよ。あなたが一歩踏み出して行動して得られた経験を私は祝福したい。良かったね、おめでとう、すごく頑張ったねって抱きしめてあげたい。吃音は敵じゃないんだよ。

このnoteを始めたいと思ったのはそれがひとつ。
あとは社会との接点を持ちたかったから。私には憧れで一度お話してみたい人がいます。プロダクトデザイナーの秋田道夫さんです。秋田さんのTwitterでフォロワーが急増したときに私も知ったのですが、日常に寄り添って機嫌よく軽やかに毎日を過ごしている言葉を見て、私もこんなふうに力を抜いて生きていたい、秋田さんと同じ歳になってもこんな大人でいたい、と思いました。私の一方的なただの憧れですが、目標のおひとりです。いつかお会いしてお話を聞いてみたいです。


さいごに、このnoteを見てくれた人が今日も明日もよく眠れますように。おやすみなさい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?