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平和ボケした日常

光が差している部屋の中、布団の中でこれを書いている。それ自体が平和である事を示している。
そんな僕みたいな人間が存在している事は平和に違いないのかもしれない。
それぞれの脅威はあれど、多くの人々が感じる脅威はこの国に存在するのかな。
平和を脅かすほどの存在なんてものは中々この国には存在しない。と僕は思う。
大体の人がある程度平和に生きる事ができているんじゃないだろうか。
そう考えるとここでこの国で生きる上で怯える必要はないのかもしれない。

大体のものは自分がどうにかすればどうにかなるくらいの些細な事が多い、それを複雑化して考える事が無意味だったりする。斯く謂う私も情緒が安定してない不安定な時期にそう考えて行動できているとは限らない。むしろ複雑化して考えることの方が多いからだ。

今日は正直これと言って話したいことはない。
だから読んでてつまらなかったら閉じてもらって構わない。けど僕は誰かと分かち合いたい、共感したいという寂しさからくる衝動で書いてると思う。
そんな日であってぼんやりと過ごしている。

僕のつまらない近況の話でもしようか
精神疾患が悪化し今まで働いていた爬虫類ショップを長期休んで入院することになった。
それからは毎日ほぼお家で1人で過ごしている。
やる事はない。やりたい事はある。
しかし今の僕にとっての脅威は生活だ。
働けなくなったら当然お給料はなくなる。
その中で生活するのが一苦労になってしまった。
映画を見たり何かをして気分転換をしたくてもできなくなってしまった現状がつらいね。
とりあえず毎日ごはんは卵かけご飯とかを食べてぼんやりと過ごす。別に悪くはない休息の日々。
元気があればお散歩にいく。
でも電車に乗るのが1人では容易にできなくなってしまった。電車に乗ると幻聴が酷くなりパニックになる。怖くて乗れないのだ。
だからどうしても1人で乗らないといけない場合はイヤホンで音楽を爆音にして乗ったりして移動をする。

人と関わるのがいいのかもわからなくなってきた。
自分の妄想か現実かわからない事で悩まされたりするからだ。でもかと言って1人でずっといる事は辛い。
まず僕の病気は周りの協力がないと100%よくなる事はないだろう、周りの理解がないとよくなる事は絶対にないと言える。そういう理解してくれる人と過ごす事はいいのかもしれない。
僕はこの人にはこう思われてると決めつけてしまう癖というか妄想癖がある、しかも大体ネガティブな妄想だ。そういうものが一人一人に対してあるからこそ、より孤独感を感じるのかもしれない。直接話して相手の口からその妄想を否定してくれる事とかがない限り自分の中で妄想は収まらないと思う。

そして最近は鬱の時期で意欲が湧かない。
ご飯を食べるにも何をするにも意欲が湧かずできなくなってしまっている。
だから寝るしか無くなってしまった。
早く元気な時期になって意欲が湧いてくれることを願うしかない。やりたい事は確かにあるはずなのにそれを行動起こすまでに至れない自分がいるのだ。

さて、今日はこの後どう過ごそうか。
寝るか寝ないかそれくらいだけどね
ちょっと元気出たらお散歩でもしようかな

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