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受験はどう変わっていくべきなのか

大学受験における英語の民間試験利用の中止を求める教授、に関する記事があった。過去、自分も中学受験、大学受験と行ってきた経験から言わせてもらえば、受験勉強においては将来極力意味のある勉強を行いたい。大学に合格する、ということは近視眼的な目的ではあるものの、それは長期的ゴールではない。通過点だ。だから、その通過点となるものにあたっては、かなりの時間をかけるということもあり、長期的に役立つことにつながるもののほうが望ましい。

英語の勉強、という観点で見れば、スピーキングやライティング(メールやチャットでの文章)と言ったものを受験に関わらずきちんとやっておくことは、将来への投資という意味では価値が高い。それが受験で利用されるとすれば、一挙両得である。将来あまり役に立たないのに、受験のため、といって時間をかけて勉強することは、忍耐力の向上以外にはあまり意味がなく、効率は悪い。だから受験生のためにも効率的な入試に変革していくべきである。

また、受験に公平・公正ということは大事かもしれないが、それも100%完全である必要はない。世の中、100%公平・公正などということはない。曖昧な中で生きていくのが人生だ。それに大学受験でギリギリのラインで不合格となり、別の大学に行ったとしても、将来リターンという意味ではあまり変わらない、という研究結果も出ている。社会で感じる実感値としても正しい。

将来的には、各大学毎の入試もなくなり、高校の成績、共通テスト、論文、面接、くらいで総合的に合否を判断するという曖昧な形になっていくのが望ましい。決まっているルールが神で正しく、画一的に同じものを受けさせて点数で決める、ではなくて、ルールはあるものの個別の事情を勘案しながら加点減点しながら決める、というほうが世の中にあっていてよいのではないだろうか。


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