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20240321 日記348 第12回集英社ライトノベル新人賞最終選考の結果報告

第12回集英社ライトノベル新人賞(ジャンル部門)最終選考落選という結果になりました。

発表当日に思ったことは猛烈ラジオに残しましたが、改めて文章でも書き残しておこうと思います。

3次選考通過からの約1ヶ月の過ごし方が本当に良くなかったなと反省している。

3次までは皆さんと同じタイミング(※むしろ俺より先にTLの皆さんが気づいていた)で結果を知ることになったのだけど、最終選考の結果通知は電話で、受賞が確定した場合だけ編集部から電話が掛かってくることになる。

電話が掛かって来たとしても、来なかったとしても、最終的にやるべきことは全く変わらないのだけど、いざプロデビューが見えるところまできたら、生活的にも能力的にも、そこへ飛びこむ覚悟が足らなすぎて、期待というよりはビクビクしながら着信を待つ日々だった。

知らない番号からの着信が1件残っていて、番号を調べたらドイツからの国際電話だったのだけど、それさえも編集部からの間違い電話なのではないかと疑ってかけ直そうとしていた。

3月25日発売の新刊の折り込みチラシで結果が発表されるのだから、普通に考えたら3月頭には結果は出てるはずなのだけど、俺は結果が発表になった19日まで着信を待っていた。

飛びこむ覚悟が足りていなかったにも関わらず「ここまで来たのだから、もしかしたら」「出版は出来なくても、トロフィーくらいはもらえるんじゃないか」という希望だけは捨てられんなかった結果、次に向けて走り出すことも、応募作の改稿にも動けずにいた。

根底にある原因は自分の作品を胸を張って送り出せなかったことにあると思っている。

送り出した俺の実力不足で、伝えたかった想いと、キャラクターたちの人生と、勇気を出して踏み出した一歩のことを上手く表現することができず、書き終えた直後から反省ばかりしてしまった。

そんな胸を張って送りだせなかった自分の作品が、どんどん選考を進んでいくのを見守る中で、己の中にある後悔と向きあうことから目を背けていたんだと思う。

最終選考まで残ったということは、彼女や彼らの物語は少なからず世界に届くものではあったということだ。

だからこそ、最後の最後に届かなかったことは、創作者としての実力が足らなかったことに他ならない。

今でも、何よりそのことが悔しくてしかたない。

結果は本質ではなく、挑戦にこそ意味があって、正しくなかったとしても、伝わらなかったとしても俺が信じる本当のことだけを書く。

その想いは今でも変わらないし、今後も呪文のように自分に言い聞かせていないと、俺は多分立っていられなくなる。

それなのに今は結果が悔しいし、伝わらなかったことが悔しい

矛盾しているけど、それが本当の感情だと思った。

初めて本当の意味で「上手くなりたい」と思った。

キレイな文章を書けるようになりたいのでも、誰もが知る大ヒット作を書けるようになりたいのでもない。

ただ、俺が感じた、俺が伝えたかった想いを、俺が想像した尊敬すべき魂を持つキャラクターたちのことを、もっと伝えられるようになりたい。

そのためにできることも、やるべきことも、最初から今まで全く変わっていなくて、一日を瞬間瞬間を猛烈に生きて、今やるべきことから目を背けず、目の前にあるものに全力をぶつけ続けるだけなのだ。

苦しい道だけど、これまでの人生で出会った多くの人が応援して、見守ってくれていることが分かった時間でもあった。

その人たちに色んな時間で様々な想いを打ち明けてきたからこそ、ここまで無くさずに持ち続けることが出来た夢でもあるから、いつか絶対に届けられるところまで行きたいという想いはこれまで以上に強くなった。

まずは、この半年間ずっと目を背けてしまった『推しが僕を好きになるわけがない!』と向きあって、今の自分の持てる力を尽くして、みんなに読んでもらえるように胸を張って送り出せるところまで改稿することを次のスタートにしたい。

2024年、まだまだ始まったばかり。

きっと完璧なんて死ぬまでたどり着けないし、次も後悔や反省は絶えないのだと思うけど、せめて次は胸を張って作品を送り出せる自分であることを諦めないように、少しでも後悔のない日々を過ごそうと思う。

三河ごーすと先生の講評については皆さんもお読み頂けるのだけど、編集部に届いた評価シートに関しては、具体的な内容を公開することはできない。

ただ、編集部の皆さんは俺よりも作品を読み込んだ(実際にそう)上で、修正点の的確な指摘だけでなく、本当に嬉しい言葉を下さり「どうしよう。俺、集英社さんのこと、好きになっちゃう」という気持ちになった。

同時に、編集部の皆さんからの評価で、唯一共通してパラメーターが低かったのが「独創性」の項目で、岡本太郎先生に傾倒している猛烈ケイスケにとって、これは大変ショックな出来事だった。

三河ごーすと先生にも評価して頂いた「同時代性」という、いわば流行りの文脈を利用した上で、その文脈に対する、俺がどうしても受け入れられなかった部分のカウンターとしての物語を書いたつもりであったので、それが主人公が何も出来ていない(好かれる理由が分からない)物語として受け止められていたとしたら、それこそが本当に俺の実力の至っていない部分だと痛感している。

でも、上手く表現しきれなかった部分も間違いなくその部分である自覚もあるので、苦しみながら、少しでも伝わるように想像していく他はない。

あと、俺が死ぬほど苦手だと思っていて、Twitterにいなかった期間、虚ろな目をしながらVRChatのフレンドさんに「萌えって何だと思いますか?」と聞いて回っていた、ヒロインちゃんたちの可愛さの部分が意外にも評価されていたのは思わぬことだった。

間違いなく自分の文章における武器だと思っていたところを正しく評価してもらえていたところと、自分が武器だと思っていなかった意外なところを褒めて頂いたところ、自分がやれてると思ったところを欠点として指摘されたところ全部あったので、非常に貴重な体験になったなと思う。

全てを糧にして、この一歩を次に繋げられるよう、2024年も猛烈に頑張ります。


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