記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

20210615 日記166 映画大好きポンポさんの感想

観ました。(※ネタバレがあります)

原作が大好きで、特にポンポさんを読んでいた頃は、曲がりなりにも小説の創作に苦悩しながら「これで何者かになりたい」と熱を燃やしていたので、読み終わった後は、何か得体のしれない熱の塊みたいなものをぶつけられた気がしたのを覚えている。

あと、明らかに『アイカツ!』の影響下にあるセリフや構図が散見されていたので、勝手にシンパシーを抱いていたというのもあった。

そして、原作者の杉谷庄吾先生は、映画の制作に一切関わっていないという衝撃のエピソードが披露された。(そんなことあるんだ……)

この作品を託された平尾隆之監督は、作中に登場するコルベット監督(好きな映画に必ずアニメ映画を挙げる)が1番に挙げていた「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」の監督でもある。

画像1

先述した『アイカツ!』の影響下にあるセリフ(※その映画を一番見てもらいたい誰かのために作ればいいんだ)(大スター宮いちご祭りですね)を話すのがコルベット監督であることを思うと、劇中で最も作者の杉谷先生自身の姿が反映されているのがコルベット監督であるとも感じている。

映画という表現媒体に対するリスペクトの意味もあるけど、一人のクリエイターとして、平尾隆之監督と制作スタッフを信じていたからこそ、一切の口出しをせず、そのままに作品を託したのだと思う。

同時に「映画の物語を漫画で描く」作品なので、映像化するのであれば、漫画表現としては省略できていた部分を、真正面から動画として描かなくてはいけない点が課題であるように感じていた。

当然、映像化されるのであれば映画でしかあり得ないのだけど、劇中劇はいずれもニャカデミー賞(アカデミー賞)を受賞している作品として描かれており、スクリーン上の作品としてその説得力を担保できないと、最大の魅力である熱量にも大きな影響を及ぼす作品でもあるように感じていた。

その説得力を、平尾隆之監督と製作陣は、1人のクリエイターとしての熱量で担保してみせたのだと思った。

劇中、ジーンくんが『MEISTER』で原作者(ポンポさん)に背いてまで、ダルベールの中に見つけた自分を重ねに行ったのと同じように、平尾監督も『映画大好きポンポさん』の原作にはないエピソードを追加し、再編集することで、そこに自分が映画を撮る理由を込めたように感じた。

アルプスでの体験が無かったとしても、ダルベールは譜面通り完璧なアリアを演奏することは出来ただろう。

ポンポさんがアルプスで「ニャカデミー賞取っちゃうぜ」と話したように、ジーンくんが追加撮影したシーンが無かったとしても『MEISTER』は多くの人から絶大な支持を得ていたはずだ。

平尾監督も、原作のエピソードを忠実に再現して90分の映像に落とし込むだけで、原作からのファンは満足していたはずだし、昨今では原作通りに再現しないことに対する不平不満の方が多く、新キャラクターを増やしたり、展開を変えるのはリスクの大きい行為だったはずだ。

でも、それでは『映画大好きポンポさん』は、映画として真の完成をみることはなかったのだろう。

なぜなら『MEISTER』ジーンくんのアリアであったように『映画大好きポンポさん』平尾監督のアリアだったからなのだと思う。

譜面を忠実に再現することではなく、自分の人生の中で感じてきた、自分だけのアリアを作ることにこそ、平尾監督が『映画大好きポンポさん』という作品から受け取った熱の塊が籠っていたのだろうとも感じている。

文字通りに自分の人生を懸けなくては作れない映画で、その熱量が全てのセクションに伝播していき、ジーンくん(平尾監督)が、ポンポさん(杉谷先生)に捧げる『90分の映画』として完成させたのが『映画大好きポンポさん』という映画だった。

原作を踏襲したのは、ストーリーという以上に、その意志でありクリエイターとしての魂であったと強く感じている。

画像2

映画としての追加要素で、最も印象的だったのがアランくんの存在だったと思う。

前述の通り、漫画の『映画大好きポンポさん』は、創作者の狂気的な熱量を打ち出した物語だったけど、元々は同人からスタートして、商業に乗っても、少年誌のヒット作品のように広く大衆に知れ渡るわけではなく、自分の目で漫画を選ぶ一部の人たち、特に、何らか創作者の側に立つ人たちが支持するタイプの作品であったと感じている。

ただ、映画としてスクリーンで大々的に上映されるとなると、そうはいかず、さらに幅広い人たちの目に留まるようになる。

アランくんはニャリウッド銀行に勤める銀行員で、原作では描かれてこなかった、クリエイターではない視点として追加された。

それでも、かつての同級生であるジーンくんが監督を務める姿をみて、目的を見失っていた自分の仕事に突き動かされる姿は、スクリーンの中の登場人物たちに心動かされる、私たちと同じような目線で描かれていたのだと思う。

漫画のドロドロとした原初的な熱量も好きなのだけど、映画として平尾監督が届けたい『ただ一人の誰か』というのは、メタ的には杉谷先生であると同時に、物語としてはアランくんの中にいたのではないかと思った。

そして、やはり俺の人生の3本に入ってくる映画である『劇場版アイカツ!』に対するリスペクトも随所に見られたように思う。

コルベット監督のセリフは言わずもがな、ライブシーンで始まるのは完璧にそうなんですよね。(本当か?)

製作チームが人生を懸けて作った、その熱量がダイレクトに伝わってくるような傑作映画でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?