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【琴爪の一筆】#9『「複雑系」入門』金重明④

ここで、サンタフェ研究所の若い数学者が証明し、科学界を動揺させた「ノーフリーランチ定理」、つまり「無料のランチなんてありえねえ定理」というふざけた名前の定理を紹介しよう。

『「複雑系」入門 カオス、フラクタルから
生命の謎まで』金重明著
講談社ブルーバックス 2023-04
p205より引用

さらに言い換えれば「そんな都合のいい話なんてあるわけねーだろ定理」です。定理名の話じゃなくその中身自体を伝えなさいと言われそうですが、例のごとく、この件の詳細は本書をご覧いただきたく。

ここでいう『動揺』とは、もちろん定理の示すセンセーショナルな内容に対するものですが、私の妄想的には「なんてテキトーな名前をつけやがるんだ!」という方面の動揺だったのなら、それはそれで面白かったのになと。
(その妄想を大幅に展開した文章は最後に。)

簡単に調べてみると、この言い回しはどうやら、『SF界の長老』と称されるロバート・アンスン・ハインラインのSF小説、『月は無慈悲な夜の女王』(1966年)で有名になった格言"There ain't no such thing as a free lunch."に由来する(Wikipediaより)とのことで、「何も失わずに何かを得られることはない」という意味だそうです。この一文に含まれる単語の頭文字をとった、TANSTAAFL (タンスターフル) というアクロニム(頭字語)も存在するほど、アメリカでは馴染みのある言い回しのようですね。

さらに、ここで言う"free lunch"とは、かつてのアメリカでよく見かけられたウエスタン・サルーン(西部劇によく出てくるあの酒場です)での定番スタイルとして、飲み物を注文した客に「無料で」振る舞われていたランチのことを指すようです。この酒場ランチのメニュー(ハム、チーズやクラッカーなど) は、ことごとく塩分が高く、食べた人はほぼ必然的にビールのおかわりを頼むことになるという、一種の販売戦略ともいえるサービスだったため、結局のところ「無料のランチなんて実はありえない」となったようです。 

【おまけ】以下、勝手な妄想の展開

この定理の公表後、関連する各国の学会が今回のネーミングに関する意見書、嘆願書、抗議声明などを各々発表し始めた。とある言語学会は16件ものネーミング代替案とその理由を含む、52ページにも渡る意見書を公表したため、さらに世間の耳目を集めることとなった。

このネーミング騒動をテーマにしたとある日のTVショーには、得体の知れない"伝説の"セールスコピーライター、ジョセフ・バーグマン氏(仮名)が出演した。彼は、前日にサンタフェ研究所付近で食べた、写真や映像の用意すらないランチのグルメレポートを5分も展開したあげく、「うまいランチにはちゃんとお金を払うべき!」といった無駄に強く亜空間なコメントで、この特集コーナーを締めくくった。それに伴い、同様に亜空間に存在する視聴者からは「サンタフェの研究所員はランチ代を踏み倒しているのでは?もしそうであるなら、その定理の名称は論理矛盾している」という苦情が番組に寄せられた。

これらの騒動以来、沈黙を守り続けてきた研究所ではあるが、CNNが建物前で現地インタビューを敢行したところ、所員の一人がそれに応じた。

「科学の発展の歴史を振り返るまでもなく、このような定理の公表には、強い批判が生じることもあり、かつ、その批判こそが発展の原動力となりうることは私達も重々承知しているよ。ただしそれは定理自体に関する話であって、ネーミングの話ではないよね。私はこれからランチに行くのでこれくらいで。あそこのランチはコーヒーが無料でつくので重宝してるんだ。誤解しないでくれよ?あくまで無料なのはコーヒーだ。ランチじゃない。」

それを受けてのアクションかどうかは定かではないが、前述した各学会は、定理自体に対する声明を改めて発表する。それらは「いいと思います!」「みんなで読みます!」「すごいです!」など、概ね賛意を示す内容で多数を占めることとなり、これを機にこの騒動は収束に向かい始めたのである。

-了-

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