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CHANGE MY MIND


「……おちかづきのしるしに……」

車椅子の男が突然私たちの間に入ってきてアメを差し出した。
それが夫と山田(仮名)さんとの運命の出会いだった。


✴✴✴


10年ほど前、大学病院に入院していた夫はリハビリのために違う病院に転院することになる。タクシーで転院先の病院に到着、入院の手続き、身体検査を経て案内された部屋は広々とした四人部屋だった。他三つのベッドにはそれぞれ患者がいて、仕切りのカーテンを開けている人もいれば閉めている人もいる。

「一段落だね」

これからしばらく夫が過ごすことになる病室を眺めながらそう話しかけた時、隣のベッドの前で車椅子に座っていた患者がするすると近づいてきた。

彼は山田さんといった。

山田さんはとてもフレンドリー、というか妙に馴れ馴れしく、けっこうグイグイくる人だった。見た感じはぽっちゃりしたおじさんだ。言葉が聞き取りにくくて、差し出されたアメを前にどうしたものかとまどっていると、

「ありがとうございます」

とごく自然に夫がアメを受け取った。
夫はクセの強い人を全く苦にしない人間である。昼間っから飲んだくれてその辺の人に絡む酔っぱらいだろうが、空気を読まずにグイグイくる人だろうが、いたって普通に会話する。
ハンディキャップのある人に対しても逃げ腰になったりしないし、特別扱いしないし、変に気を遣うこともない。対応がごくごくナチュラルで、私は夫のこういうところはいつも感心するのだ。

山田さんと夫の会話が弾んでいたので、私は「ご飯食べてくるね」と言って病室を後にした。逃げたのだ。正直、人見知りの私は山田さんのあのグイグイくる感じが苦手だった。

病院には寂れた感じの食堂があって、入り口に「ケーキ冷凍のままお出しします」という看板がある。おそらく残っても廃棄しなくていいように冷凍保存しているのだろう。冷凍ケーキ!これは今度食べてみなければなるまい、などと思いながら、他においしそうなものもないので外に食べに行く。

病室に戻ると夫はかなりの山田さん情報を仕入れていた。
営業の終わった誰もいない食堂で、夫は山田さんについて語った。

同い年であること。
学生の頃、アメフトの練習中にけがをして後遺症が残ってしまったこと。
今は違う病気で入院していること。

「けっこうおもろいオッサンやったで」

夫が隣の患者と仲良くやっていけそうなので、私は少しほっとして家路についた。


✴✴✴


自宅から病院までは自転車で30分。
冬の事で、私は仕事が終わるとダウンコートを着込んで夫に会いに自転車を走らせた。

会うと話題はいつも山田さんだった。

食堂で冷凍ケーキを二つ頼むと、本当にカッチカチのケーキが出てきて、おばさんが「10分くらい経ってから食べてくださいね」と言う。

「俺がコーヒー買いに行こうとするとな、あいつ『俺のも……お願いします……』って言ってくるからどんなのがいいのか聞いたら、『……甘いの、コーヒー牛乳みたいなやつ……』とか言うねん。それでな、山田が一万円札渡してきて『……今これしかない……』って。じゃあ俺が出しますよって言ったらあいつ、にやあっと笑いやがってな~」

夫はものまねを交えながら、それはそれは楽しそうに話して聞かせた。
10分たったケーキには意外とすんなりフォークが入って、コーヒーと一緒にいただきながら私たちは山田さんの話で盛り上がった。

またある日に行くと、山田さんのベッドの上に洗濯物が干してあった。

「山田おねしょしてやな、俺が『山田さん、やっちゃったね』って言ったら『うるさい!!』ってキレてやな~、カーテンぴしゃ!って閉められたで~」

とおかしそうに笑っていた。
確実に距離を縮めている様子の夫と山田さん。
しかし、そんな夫を見ながら、私は嫌な予感がしてならなかった。

そう、夫には悪いクセがあったのだ。


✴✴✴


夫の話を聞きながら、ああ、風向きが変わってきたなと感じたのは二週間ばかり経った頃だった。

「夕食の前になると『めーし!めーし!めーし!めーし!』ってガンガンガンガン叩いてやな、もううっさいねん!」

「夜中の1時やで?『……○○さん、……○○さん』って呼ばれて。あいつ寝るときもずっとテレビつけてんねん。そんでカードがなくなったから俺に貸せとかぬかすねん!」

山田さんのことを話す夫の顔から笑顔が消えた。内容はほぼ愚痴になり、あきらかに山田さんに対して腹を立てるようになってしまったのだ。

夫にはこういうことがよくあった。
クセの強い人をおもしろがって、最初は楽しく付き合っているのだが、次第にその人の悪いところばかり気になるようになり、やがて決裂してしまう。

まずいな、と思った。


✴✴✴


新しい年まであとわずかとなったある日、病室を訪れると山田さんのベッドはもぬけの殻だった。

その日の朝、いつものように「めーし!めーし!」とその辺をガンガン叩いて騒いでいた山田さんに耐え切れなくなった夫が、ついにキレた。

「うるさーーーーーーい!!!」

看護師さんや介護士さんがとんできたが夫の怒りは収まらず、病室は大騒ぎになり、ついに山田さんは他の部屋に移動させられてしまった。
あああ……やはりこうなってしまったか……。

私は天を仰いだ。

山田さんは少し距離のある部屋に移動していた。前を通りかかったときにチラリと山田さんの姿が見えたが、その表情までは伺うことができなかった。

それ以来、夫は山田さんの話をしなくなった。


✴✴✴


年が明けて間もなく、夫から山田さんが退院したと聞いた。

その日ベッドの脇のテーブルに、
「CHANGE MY MIND」
と書かれた紙があったので「これどうしたの」と聞くと、夫はちょっと神妙な顔をしてつぶやいた。

「山田に教えてもらった言葉なんや」

人気のない食堂で、冷凍ケーキを食べながら夫の話を聞く。
山田さんは退院する日、夫のところへやってきて言った。

「……○○さん、『CHANGE MY MIND』、この言葉をあなたにあげるよ……」

「CHANGE MY MIND」
切り替えろ、というような意味だろうか。この言葉は山田さんがアメフトの先輩から教わった合言葉なのだという。試合中はたとえミスをしてもくよくよしている暇はない。瞬時に気持ちを切り替えることが大事。
山田さんは退院する前に自分の座右の銘を夫に伝えたくて、わざわざ会いに来てくれたのだ。

夫はいたく感動した。
感動のあまり忘れないようにそのへんの紙にマジックで「CHANGE MY MIND」と書きとめ、感動のあまり山田さんと仲直りし、感動のあまり抱き合って二人でおいおい泣いたという。

その話を聞いた私は思った。

………自作自演か!?お前ら、自作自演か!?


病院職員の皆さんには本当にご迷惑をおかけしたし、私も振り回された。

夫は今も山田さんの思い出とともに「CHANGE MY MIND」という言葉を大切にしている。山田さんの思い出を語る夫はとても楽しそうで、
「あいつ、ほんまにかなわんわ~」
と言いながら大笑いしている。
嫌なことがあると引きずりがちな夫を「CHANGE MY MIND」はいつもやさしく見守ってくれているような気がする。

「ねえ、もう一度山田さんに会いたいでしょう。探偵ナイトスクープに頼んでみたらどう?」

と言うと、夫は顔をしかめながら「いらんいらん!」と笑った。






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