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池袋の喫茶店Zの金魚鉢パフェ

東京23区北部在住の私にとって、最も親しみのある身近な繁華街といえば池袋。

近年オシャレな商業施設や公園が作られ、大きくイメージチェンジしている池袋だが、どこかあか抜けない、ちょっと怪しげな街、戦後の闇市の影がつきまとうような猥雑な街、池袋のそんな印象は変わらないように思う。

江戸川乱歩の「孤島の鬼」は私の大好きな1冊だが、主人公の謎めいた友人・諸戸道雄が池袋に住んでおり、物語の中で当時の池袋の様子が描写されている。

当時の池袋は今のように賑やかではなく、師範学校の裏に出ると、もう人家もまばらになり、細い田舎道を歩くのに骨が折れるほど、まっ暗であったが、私は、その一方は背の高い生垣、一方は広っぱといったような淋しいところを、闇の中に僅かにほの白く浮き上がっている道路を、眼をすえて見つめながら、遠くの方にポッツリポッツリと見えている燈火をたよりに、心元なく歩いていた。

「孤島の鬼」が連載されていたのは、1929年(昭和4年)1月から翌1930年(昭和5年)2月まで。回想文になっているのでこれより少し前の様子かもしれないが、当時の池袋の様子がしのばれる。
乱歩自身、1934年(昭和9年)から1965年(昭和40年)に亡くなるまで池袋で暮らしている。それまで幾度となく転居していた乱歩の終の棲家となったのだから、乱歩は池袋をよほど気に入っていたのだろう。


池袋には、かつて知る人ぞ知るZという喫茶店があった。

Zは池袋西口を出てすぐのところにある、ビルの地下にある24時間営業の喫茶店だった。
狭い階段を降り薄暗い店内に入ると、中は案外広く、ゆったりしたテーブルと籐の椅子が並んでいる。隅には観葉植物。店内にはテレビモニターがいくつか置いてあり、いつも洋楽が流れていた。
そしてナポリタンやサンドイッチ、グァバジュースなど由緒正しき喫茶店メニュー。懐かしき昭和感あふれる喫茶店だった。

このZ、二時間ごとに一品たのめばトーストとゆで卵が食べ放題。「トーストいかがですか?」とお姉さんが巡回してくれて、どうぞいくらでも長居してくださいね、といわんばかりのゆるさ。居心地がよく、とても落ち着く。終電を逃したらここに来れば朝までゆっくりできる、というありがたい喫茶店である。
ぎゅうぎゅう詰めの席に座らされ、飲んだらすぐ出てってよという圧を感じるカフェとはわけが違うのだ。

Zには「ジャンボチョコレートパフェ¥1300」という名物メニューがあった。通称「金魚鉢パフェ」。
学生の頃、友人らとこのパフェの話題になった。
「金魚鉢に入っている。」
「量が半端ない。」
「とにかくデカい。」
「ひとりで食べなくてはいけない。」
私はそのパフェを見たことがなかったので、そんなアホみたいなものがあるのかと興味津々。話しているうちに、どうにも食べたくなってしまった若者たちは、日を改めてZに金魚鉢パフェを食べに行くことにした。

当日集まったのはいずれ劣らぬ甘いもの好きの男女6人。
テーブルの上に金魚鉢パフェが6つ並ぶと全員の口から、
「おおーーーーう!!」
という感嘆の声が漏れた。
パフェが入っているグラスはまさしく金魚鉢。直径20㎝以上はあろうかという巨大さで、アイスクリーム、生クリーム、コーンフレーク、チョコが幾重にも重なり、金魚鉢の口にはポッキーが数本刺さっている。
メニューにはしっかりと「おひとりで食べてください」と書かれている。今思うと無謀としか思えないが、若さゆえの「食べきれる!」という根拠のない自信が、その時は全員にあったのだ。

その自信は10分もすると揺らいでくる。食べても食べても、食べても食べてもいっこうに減らないパフェ。アイスクリームはまだいいのだが、生クリームが地獄だ。コーンフレークで束の間の安息を得るも、そんなものは金魚鉢の底にたんまりと残っている生クリームの前にはまぼろしも同然。
誰かがたまりかねて禁断の言葉を口にする。

「塩‥‥しょっぱいものが欲しい‥‥!」
「何か頼もう、しょっぱいもの‥‥‥」
「すみません、ポテトフライ!」

運ばれてきたポテトフライは、とてつもなく光り輝いていた。後にも先にも、あれほどポテトフライが輝いて見えたことはなかった。
我先にとポテトフライをほおばり、戦意を取り戻した若者たちは再び巨大パフェに挑むが、しばらくすると大量の生クリームの前にポテトフライ効果も消失。誰も言葉を発しようとしなくなり、ひとり、またひとりとギブアップし始めた。

結果、完食できたのは1名。ガタイのいいスイーツ男子のU君のみであった。Zの金魚鉢パフェを完食した男という称号を手にしたU君は、その後皆からスイーツのご意見番として崇め奉られる存在となる。



その後も、私の中でZは日常と共にある喫茶店だったが、あのおおらかでゆるい経営方針は時代に合わなかったのか、残念ながら2004年に閉店してしまった。こういった昔ながらの喫茶店が無くなっていくのは本当に寂しい。

あの金魚鉢パフェの甘さとともに、今でもZのことは懐かしく思い出す。



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