不快感やイライラは人にまやかしの理想を与えるらしい
英語とか勉強と関係ないですけど、なんか…。
…。
私は別に他人がどういう理想を掲げようと豪語していようと、自分の英語学習や運動の方が大事なのであまり干渉しないようにしています。
周りの人間が好きにしてても別に構わないので、私のことも構わないでくれ、というスタンスといいますか。
そういう考えなんですね、なるほどで終わりです。
しかし、未だに理解できないのが、憎いわけでも信念があるわけでもないのに人前で啖呵を切ってくる奴。
人は正しさとか理想、信念を語りますが、その根底にあるのは「相手が嫌い」「私はイライラしている」というもののようです。
もちろん一例ではありますが、あまりに多いようにも思えます。
だから、相手が語った信念を褒めたり感心したりしても、なんだか変に思われるみたい。
敵ながら天晴と思った自分が愚かだったか。
そんだけ強気にこちらを否定してくるのだから、当然確固たるものがあるのだな。いいだろう、ならばこちらも受けて立とうではないか。と思ったら、コソコソ仲間を連れてきてさ。
結局、後で人伝に聞いたら「なんかアイツ好かないんだよなぁ」くらいしか理由がないんですって。
そんなもので、よくあそこまで高尚な理想を語れるものだな。
と、同時に、信念とか理想とか語る奴ってそこまで深く考えて喋ってるわけじゃないんだなぁ、と。
今イライラしてる!お前が嫌い!に尾ひれをつけるのがとてもお上手なようで…。
そりゃ、そこを褒められても、何を言ったか覚えてすらいないでしょうし、単なる好き嫌いなので気味も悪いでしょうな。
私だってラズベリーが好きなことを褒められてもちょっと困りますしね。
もちろん、全ての人がそうじゃないと思いますよ。
信念はあるけどうまく言葉にできない人もいるでしょう。
また、自分が勉強してるのが偉いとか、運動を習慣化したり定期的に寄付をしたりしてるから云々とかいうつもりもありません。
が、ただ仕事して帰ってきて、数年前と全く同じ生活をして飯食って寝る以外何もしていない人間が語る理想や信念など…。
悲しいですね。
そんなことがありました。
ちなみに私の信念というか、それの1つは「人は生まれは選べないが、そこに生まれた意味は何かあるはずだ」というものです。
それは、偉く生まれて何かを成し遂げることかもしれないし、どん底に落ちながらも這い上がることで似た境遇の人に勇気を与えることかもしれません。
人より劣って生まれたことも、どうせ大人になったら勉強が必要になるんだから小さい頃からやっておきなさいとの天啓かもしれません。
まあ、たまには感想というか日記ということで。
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