「好きな小説家は誰ですか?」

 大変大変ありがたいことに、そのような質問をよくいただく。そのマシュマロ、宛先は私でいいの!? ありがとう。。。
 もちろん嬉しい!が、現時点では申し訳ないという気持ちの方がちょっとだけ勝る。

 なぜなら、好きな小説家さんは? と聞かれて、パッ!!と名前が浮かぶほど人生で本を読んできてないということを痛感するからだ。
 わざわざ質問してくれるってことは、私の答えを知りたいと思ってくれたからなのだろう。竹を割ったような気持ちのいい解答ができず、大変申し訳ないと思っている。

 好きな小説家の名前があげられない。
 実はこの点、私のコンプレックスでもある。

 好きなマンガ家さんって言われたら、わりとすんなり名前が上がる。萩尾望都、よしながふみ、ヤマシタトモコ、志村貴子……。

 (メンバーがあまりにも偏っていることは一旦横に置いておいて)私は、今、名前を上げたマンガ家たちの作品を複数読んだ上で、この方の作品が好きだなあとはっきり感じた。
 そう、ここが私の中のポイントなのだ。

 その方の作品を、複数読んでいる。
 お恥ずかしながら、そういう出会いを、小説ではあまりしたことがないのだ。

 一作品でも読んだことのあるという小説家は、それなりにいる。けれど、二作以上読んだことのある小説家は? 三冊、四冊と好んで読むような小説家は? と聞かれると、実はかなり微妙なのである。

 それには、私の資質も多いに関係している。
 私は、わりと広く浅く楽しみたい人間だ。たとえば、デートで行くランチの店も毎回新しいところを開拓したいし、二回目に行くお店でも前回と違うメニューを選びたくなる。毎回新しい刺激を探したくなる。

 多分悪いことじゃないのだけれど、その結果、自分の中で「これがめっちゃ好き!」というこだわりが生まれづらいのだ。カップリングの雑食性もこういうところに現れてる気がしてならない。

 それに対して、すごいのは彼女だ。
 彼女、マックに行っても、絶対にダブルチーズバーガーしか頼まないんだよ。
 なんでそんなことができるのだろう。マックに行ったらチーズ月見とか、サムライマックとか、グラコロとか食べたくなるじゃん。
 でも彼女はいつもダブルチーズバーガーを食べている。私がメニュー表を見てウーンウーンって迷ってる間、全てを無視してインスタを見ている。

 すげーぜ、この女……。

 他のバーガーは食べないの? って聞いたら、「ダブチが間違いなく美味しいからそれでいい」んだって。すごいな…。

 彼女は私と全く反対で、自分の好きなものを深く大切にするタイプだ。好きなお店、好きなメニューに出会ったら、何度も繰り返しその店に通い、特定のメニューを食べる。好きなものがあれば、別にわざわざ新しいものを開拓しなくてもいいのだ。

 小説やマンガに関してもそうで、彼女は「好きな作家」を見つけるのが上手だ。
 私は、その恩恵を最大限に受けている。最近は、彼女が好きな今村夏子さんの本を五冊ほど読んだ。これは個人的な新記録である!

 これだけ読んだら、さすがに「今村さんの作品が好き!」と言ってもいいのではないか!

 いやー。
 そうでもないんだな、これが。
 たくさん作品を読んだ上で、めちゃくちゃ面白いし、毎回驚かされるけど、はたしてこれが好きか…? と言われると、たくさん読み込んだからこそ、ウーンと首を捻ってしまうのである(もちろん、今村さんの作品は間違いなく素晴らしい。今村さんの作品を読んだことがある方は、この感覚を理解してくださると思う)。

 はあ〜 ままならねえ。
「好き」を見つけるのって、けっこう大変なんだな。

 小説に出会うだけじゃなくて、たくさん作品に触れてから、ようやく「あ、私はこの人の作品が好きなんだな」と自信を持てる。
 なんだか恋愛みたいで大変だね。

 もっと気楽に考えていいんだろうが、そうもできない自分がいる。基準を緩くすることも時には必要だぞ、と言い聞かせてはいるが…。

 上述したように、自分の好みが確立できないという悩みが生まれるのは、目移りしやすいという私自身の資質が多いに影響しているのは間違いない。
 が、それだけではなく、もう一つ決定的な理由があると考えている。

 私は、味よりも喉越しや量を求めてしまうタイプなのだ。

 食べ物、たくさん食べてお腹を満たしたい。
 飲み物、ガブガブ飲んでとにかく飲んで乾きを潤したい。
 本、とにかく最後まで読み切って読了感を味わいたい。

 あまり、味わってないのだ。全てにおいて。何もかもを。

 だから今でも食べ放題が好きだし、いくら飲んでも大丈夫なジュースが好きだし、本もとにかく速読しちゃう。

 このお料理の裏にちょっと効いてる黒胡椒が味を引き立てているだとか、日本酒のお酒の香りと舌触りがいいとか、この一文がどうにも心に残るとか、そんなふうに何事をもじっくり味わう前に、全部飲み飲んでしまうのだ。

 そうなると何がまずいって、覚えてないんだよ。
 自分が何を食べて、飲んで、読んで、それがどんな味だったか、それをどれくらい美味しいと思ったかって。

 何かを食べて飲んで読んで観ても、私には「それを完了した」という経験しか残らない。
 だから「あ、その本読んだことあるよ」なんて迂闊に言えない。「どうだった?」って聞かれたら「面白かった」としか言えないから…。

 それはもう、読んでないのと同じじゃないか?
 そうだとしたら、あまりにも勿体ないかも!

 という危機感を最近抱いてるので、近頃はかなりいろいろと気をつけている節がある。しかしなんだか、冬の訪れと共に体が冬眠したがってるのか、最近ご飯をすげ〜いっぱい食べたいんだよな……。参ったぜ、今月健康診断があるのにな……。

 まあ、メシは置いておいて、とりあえず本は一文を味わいうためにあえてゆっくり読むようにしている。
 そしたらさ、今読んでる『カラマーゾフの兄弟』の1巻、1ヶ月で50ページしか進まないでやんの。
 450✖︎4巻あるのに。
 なんだかなあ〜。

人生を顧みてよく味わって食べたお好み焼き。
仙台駅のヨドバシカメラに風月が入ってたんだよ!
最高だあ。

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