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東京十四年

東京十四年

太宰治に憧れていた。
三鷹か吉祥寺に住んで、芸術家になってみたかった。実際にはもっと郊外の、国木田独歩が描いたよりもっと西側の郊外、八王子の隅っこで、小さなアパートに住んで、アルバイト生活を続けていた。
いくつかの文学賞に作品を送った。そのうちのひとつは命懸けだった。水分子を要素に置いた『結露の終わり』という2万字の小説。女子高生が建築技師の真似事をしたり、数学教師がチンピラを撃って商店街をうろつくというわけのわからない内容で、自分では面白いつもりだった。けれど、歯牙にもかけられなかった。当然だ。
おれの、ぼくの、わたしの、なんていうふうに、一人称にさえ戸惑ってしまう。あなたはどれがお好みだろう? あるいはきみは? おまえは?
わたしと言うほどきちんとした人間ではなく、ぼくというほど若くもない。あなたと言うほど他人行儀になれば親密な小説にはならないけれど、おまえというほど乱暴になる粗暴さも無い。紳士にもなれず、チンピラにすらなれない。

八王子駅すぐのアーケード。ピンサロや雀荘、焼き肉店やゲーセンが立ち並ぶ界隈に3軒の古書店が隣立していた。そのうちの一軒がお気に入りで、よく訪れていた。漫画でいえば横山光輝や白土三平、水木しげるはもちろん丸尾末広や楳図かずお、あるいは他にも普通の書店には並んでいない希少な初版本などが置かれていた。ドストエフスキーの昔の訳本や、椎名麟三など戦後派作家の珍しいタイトルを見つけた時の胸の高鳴りを、君にどう伝えれば良いだろう?
なにより楽しかったのは戦前戦後の新聞や雑誌が入手できるところで、図書館ですら蔵していないものまでその古書店では売られていた。覚醒剤の宣伝がごく当たり前に載っている雑誌なんてあの頃にしかありえない。
80年前の新聞を鞄にしまって中央線に乗っている時、自分だけは今の世界の人間では無いような気がして、沈む夕陽さえ人々の歴史を囁いていた。

太宰治に憧れていた。
18歳で工場勤務を始めた。すぐに辞めて毎晩、路上のギタリストと一緒に、ギターと缶ビールを交換しながら酒に酔って歌っていた。残念ながらぼくは(あるいはおれは)ギターと歌が下手で、投げ銭なんて殆ど無かった。深夜の公園で、小林多喜二や中野重治を読んでいると、白い息に朝の陽が融けている。そんな日々が続いた。路上の喧嘩で記憶にあるのはほんの数回だけれど、すべて敗北の惨めな結果だった。おれは人を殴るのが怖いのだ。警察署で一時的に拘留されたこともあるけれど、あの強化プラスチックはどんなに蹴っても破れなかった。きみも捕まった時はおとなしくしておくのが賢明だ。
その拘置所で印象深いのが、泥酔して喧嘩・拘留された際に頭部外傷と歯茎からの血と吐瀉物を床に撒き散らしていると制服の署員が来て「何か要るか?」と尋ねたので「なんでも良いから読むものをくれ。じゃなきゃ殺せ」と全裸になって要求すると、小窓からスポーツ新聞を差し出してくれたこと。
下半身をジーンズにしまって汚物まみれで新聞を読んでいると「べつに今すぐ死ななくてもいいのかな」と思えた。
誰が書いたどんな内容でさえ、ただ読むだけで混乱から脱出できる。
おれは日本語を愛していて、それによって命を支えられている。
人間が文字を読むとは、たとえばライオンが牙を剥いて闘うことでプライドを保つのと同じように、自身が人間であることの確認なのだ。

さてその後、ポルノショップで働き始めた。目隠しされたレジカウンターでたくさんのDVDやグッズを売った。出会い系専用のコードが記されたカードも販売していて、定期的に買いに来るお客さんもいた。うまく出会えただろうか? 他には、一度に新作を20本も買っていく人もいた。新品正規の値段でその本数なら8万円もする。いったい何のために、と思ってネットで調べたら、新作をレビューするブログサイトではアフィリエイトでかなり稼げるんだそうだ。
宣伝用のポップも描いた。絵は得意なほうなので『3本セットなら1980円!』みたいなことを可愛い女の子が言っているポスターも作ったが、たいした効果は無かった。「よい夜を!」と台詞付きで描いた人物の背景が完全に昼間だったので同僚に「いや昼じゃん」とツッコまれたのは謎の思い出。
その店でもあれこれ働いたけれど、社長と折り合いが悪くて辞めた。その店も今はもう無い。

太宰治に憧れていた。
けれど、いっこうに近づけないまま清掃業のアルバイトを始めた。文学や、それに随伴するイデオロギーからは離れていくばかりで、もうその頃には三島由紀夫も北一輝も丸山眞男も、トロツキーも毛沢東も金正日も、どうでも良くなっていた。
現場はクールごとに替わった。その内で印象深いのは動物園だ。
その某動物園は自然が豊かで、ありとあらゆるいきものがいきものとしていきていて、そうしてその中でいきているおれもまた、同じいきものであるといつも感じていた。
生きているって何だろう?
こどもの頃からずっと疑問だった。
動物園でたくさんのいきものの生き死にを眺めていて、とつぜん、その答えがわかったのだ。

つづく


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