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世間との乖離は保護を遠のかせるのか?

憂鬱感が酷すぎるが、しっかり眠れて食欲も旺盛なので鬱ではない。日光に当たらないのはよくないので、明日はカナヘビを探しに行こう。それがいい。

どうせ行かないが。そうやって毎日毎日誤魔化して生きてしまう。しかしもう誤魔化しでしか幸せを理解できないのだ。

新しく趣味とした「生き物界隈」も、浮世離れした人間が多く見ていて苦しい。世間の生き物に対する軽視など、捨て犬や捨て猫の現場を見れば火を見るより明らかであるのに。愛玩動物である犬猫ですら苦渋の決断で殺処分せざるおえない状況で、昆虫という「気持ち悪がられる存在」が大切に扱われるわけがない。レッドリストという学校で習う言葉が記憶されているわけがない。人間という存在が生き物を殺していくなら、人間という存在に媚を打って少しでも関心ある層を正常に育てなくてはいけない。「普通だったら虫をいじめない」などとズレた感性で何を訴えても人間は見てくれない。まずは見てもらわなくてはいけないのだ。野生生物への餌付けを頭ごなしに否定するよりも、その愛護の精神に寄り添いつつ多くの危険を教えていくほうが餌付けは減っていくんじゃないだろうか。というか、そうしないと彼らの視界にすら「餌付けはダメ!」という事実すら届かないだろう。一刻を争う事態だからこそ、大切な存在のために冷静になってほしい。単語を知らないことに対するマウントなんてせずに。

ただ誰にでも優しく寄り添えばいいものでもない。鉄槌を下すべき時には鉄槌を。無知のまま進んでしまう人間は一度叱責されるべきだとも思う。

ただ私は、己の正義を正しく傲慢とさえみえる姿勢で振る舞えることが羨ましいのかもしれない。

社会は大事なものを増やせば増やすほど息苦しくなっていく。かといって何もないはあまりにも息苦しい。どうにか私が生きていた事実をなかったことにできないだろうか。


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