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数字は必ずしも真実を語らないし、あなたは陰謀を知り得ない。

 今回の記事は、下記の記事を参考にして書かれています。

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 「数字は真実を語る」とはよく言われるものの、数字自体は真実を語らないし、必ずしも真実を語るわけでもない。

 実は、数字それ自体は何も証明しないのだ。

 勿論、数字を用いることで補強される論証というのもたくさんある。しかし、数字を用いることで「補強されたように見せかける」論証というのもたくさんある。

 論証に数字が用いられているからといって無批判に早急にその論証を正しいものであると判断しないようにしよう。むしろ、論証の中に数字が出てきたときには、その数字に批判的検討を加えよう。

 なお、数字を含む論証を作成する際にもその数字を批判的に扱うことをお忘れなく。

 割合や確率などの数値を提示する際には、その数値の背景や比較対象をも提示する必要がある。そうしないと、その数値の多寡も変動の傾向も理解できない。数字それ自体で何かを証明することは不可能なのだから。

 「自転車の盗難が昨年の2倍になった」というとき、自転車の盗難件数が1台から2台になった場合、200台から400台になった場合、1500台から3000台になった場合、果たして全てが同じ「2倍」なのだろうか?

 無論、そうではないだろう。同じ「2倍」という数字ではあっても、それぞれの場合で意味合いがだいぶ異なるだろう。

 また、数字はいとも簡単に操作されてしまうものでもある。数字や統計はしばしば誤った理解・印象をもたらす。

 以上の記事でも述べたが、特定の属性への偏りや特定の回答への誘導を生んでしまうアンケート調査の手法というものが存在している。

 アンケートだけではない。授業や会議や議論をはじめ、テレビやインターネットやSNSで行われる投票機能においても誘導行為は広く見受けられる。

 「誘導」とは詭弁・誤謬の一つであり、「結論ありき」の議論や調査の際に議論参加者や被調査者を、(意識的か無意識的かを問わず)あらかじめ念頭に置かれた望ましいとされる結論に導いていくような問題設定(フレーミング)や調査手法・回答手法のことである。

 論証の際には根拠が必要となるが、その根拠として統計を用いる機会は多いであろう。その際には統計自体の正確さについても吟味しなければならない。決して無批判に早急に統計の正確さを断定してはならない。

 統計の全てが意図的に操作されたものではないだろうが、多かれ少なかれ専門家も誤った統計を行うことがあるのだ。自らの論証に統計を用いることには慎重になるべきだ。

 最後に、犯罪や疑惑や陰謀などの明るみに出ない事柄を論じることについて触れよう。このような事柄は公式なデータや報道に現れにくいものであるので、犯罪や疑惑や陰謀などに関わっていない大多数の人はそれらの内実について知り得ないはずである。

 それゆえ、明るみに出ない事柄について断言的に主張するのは極めて困難であり、その主張の正誤については判断できないのである。

 2001年にアメリカで起きた9.11同時多発テロ事件や(最近で言えば)新型コロナウイルスや新型コロナワクチンなどの「明るみに出ない秘密」が仮に存在するとしても、それらの秘密については誰も白日の下に晒さないし(秘密なのだから)、それゆえ我々大多数の庶民は知る由もない。なので、基本的には陰謀論の正誤については判断できない。

 にもかかわらず、「真実である」だとか「間違っている」だとか自信満々に言っている人がたくさんいる。彼らは、明るみに出ない秘密を知っている高地位のお偉いさんなのかもしれないが、大多数の庶民は秘密の存在や秘密内容については知ることができない(秘密なのだから)。

 大多数の庶民に含まれるであろう我々は、陰謀論に対して「事実かもしれないし、そうではないかもしれない」という中立的な立場を採るべきだ。



 


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