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#2468 人間の考えはどこまで自分のもの?

以前、人間の言葉や考えは、どこまでが自分の言葉や考えなのか、ということを考えたことがあります。

他の人から影響を受けたり、他の人からもらったり受け継いだ言葉や考えもあると思います。
本などを読んで身につけた考えは、その著者の考えに沿って生きてることになるのでしょうか?

皆様はどう思われるでしょうか。

#1

近代哲学のイギリス経験論と大陸合理論の対立に似通ったテーマだと思います。
イギリス経験論では、人は生まれたときは白紙であり、観念は全て経験から形成されると主張します。
対して大陸合理論では、人は生まれながらに理性を与えられ、基本的な観念の一部や概念を作り出す能力を持っていると主張します。

#2

自ら創り出した「言葉」なんてものがあるのでしょうか。
また、経験は他者から与えられるもので、その他者から与えられた経験を元にした「考え」は自分のものではないとも言えそうです。
しかし、他者から受け取る経験を解釈するのも「考える」ことならそれは自分が考えていることになるのでしょうか。
「考える」という言葉の定義を見直す必要がありそうですね。

#3

>>1
>>2
コメントありがとうございます!
そんなテーマがあるんですね。初めて知りました。

自ら創り出した言葉…、あまり自ら作ってる人は聞いたことがないですが、女子高生の若者言葉とかはどうなんでしょう。

普段、人が話す言葉は辞書に載っている言葉をどう文として配置するか、構成することに、その人の独創性が出ると思います。

「考える」言葉の定義、難しいですが、
自分で思いついた疑問や、誰かの疑問から
より良い答えを考えること、
それを何度も修正して考えること、
頭にあるまだ具現化されてない言葉を具体的にする…などですかね。

#4

人生とか、政治とか、経済全般などの、歴史的に古くから存在している事柄については、すでに先人たちによって語り尽くされている、と言っても、過言では無いように思います。

その一方で、技術の進歩は、幾何級数的なものがあり、陳腐な言葉でいえば、まさに「日進月歩」だと言えます。

その中では、従来では考え付かなかったような新しい考え、概念も数多く生まれてきています。

例えば、「宇宙ステーション」などは、私の子供時代にはSFの世界の話でしたが、今や現実のものとなっています。

そうしたものについて、「SFでの考え」と「現実の世界での考え」というものを同一視していいのか、ということもあると思います。

同時に、SFでの人間の「妄想」や「想像」」を現実化させようとすることが、新たな技術の推進力にもなっている、ということもあると考えます。
→「宇宙エレベーター」ですら、現実化する可能性も十分にあるようです。

ですから、今まで考えられていなかったことが、これから技術の進歩によって、考え出される、ということは、可能性としては十分にあると考えます。

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