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【逆境指数】幼馴染とレジリエンス【AQ】


中学の時に一年だけ一緒に暮らした幼馴染がいる

8歳で千葉に引っ越してきた時に斜め前に住んでいた幼馴染と、もう33年の付き合いになった。

そんな、少し変わった幼馴染と、相変わらず変わっている私のレジリエンスの話です。


当たり前は当たり前ではない


ところで私たちはこの日本に住んで、住む場所、明日食べるお金に困り、両親がいるのにいない、学校の制服が買えない、そんな人がいることはご存知だろうか

おそらくこれを読んでいる人でそれを肌で感じたことがある人はとても少ないと思うけど、確かにそういう人はいる

私は幼馴染から、生きるために最低限必要なものが当たり前ではないことを知り、そして人間の持つレジリエンスについてよく考える

幼馴染の存在のおかげで、目の前のあなたの考える不足は、本当に不足なのか、これをよく考えるわけです

当たり前に持っているものほど、気づきづらく

そこに気づけた人は最強だ、と




レジリエンス=心の回復力


余裕がある時に良い人でいられて優しくなれるのは当たり前である

必要なのは大切なものを喪失した時に、結果的にどれだけ肯定的に生きられるか、な気がしている。

レジリエンスとは

社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される

「脆弱性(vulnerability)」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」「再起力」などとも訳されるが、訳語を用いずそのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。

Wikipediaより



肉親に近い他人


中学3年生のある夜に、幼馴染とその母親は裸足で我が家に逃げ込んできた

1998年、バリバリ平成の話である

あの時の非現実さがなんとなく忘れられない
ちょっとワクワクしながら、ほんとにやべーなと思った

テレビで流れているニュースってこんな真隣で起こるんだ、と

それから幼馴染は私の家に住み、一緒の部屋で寝起きした。
ちょうど私が英語と映画にハマっている時だったので、彼女は目の前で私が英語を習得し、映画知識を飲み込んでいくところを見ている。

だからかその後の30年美大に受かった時も、本を書いて作った時も、韓国語が理解できた時も、私が何かを習得した時も、彼女はそれを当たり前のように受け入れ、そして「まさか今度はそれやるとはねぇ」と笑いながら言えるのだろう。

一人っ子で専業主婦なのに鍵っ子で、いつも退屈していた私からすると、幼馴染と住むことはその動機なんかどうでもよくて、ただただ呑気に楽しく嬉しいということだった

だから同情するでも否定するでもなく、ただただ楽しかった



被害者にさせてくれなかった幼馴染


私は私の育ちを悲惨だとは思うけど、そう思いきれないのは彼女の存在だった

彼女の育ちのことを思うと自分の育ちが悲惨だったなんて到底思えなかったからだ

そのおかげで私は被害者意識を100%持つことは無く、結果的に被害者でいることに浸らずに前に進めたのだと思う

だから過去の栄光にしがみつかずに済んでいる

彼女は与えられた運命に対してしなやかに挑み苦悩を抱えつつも楽しく生きている
その姿に私は励まされるのだ。

「えつこちゃんなら、まだまだできるよね?」と聞こえる

そして「ほら、やっぱりできた。しかも私の想像なんか超えちゃうのがえつこちゃんなんだから」と言う


高校の制服が買えなかった幼馴染


私はこの屈辱に塗れたエピソードを忘れることはない

一学年上の幼馴染は全日制の高校に受かるも、お金が払えないどころか制服も買ってもらえず中学の制服で入学式に行かされた。

この話を聞いた時、悔しくて涙を流した

こんな屈辱は無いだろう、と

そしてその後、その話をしてもイマイチ理解されないことがとても悲しかった

この平成においてそんな話があっていいのか、その姿で高校の入学式に出席させたれた彼女の屈辱をそのまま同じ温度で、なんならそれより強く感じたのだ。

思春期の子どもにこんな屈辱は無いだろ、と

それに比べたら私の感じている屈辱なんてくだらない

くだらなくはないけど、それは最低限を持っている上でのもので、比べるものではないけれど、別物でもない

欲しいものは言う前に買い与えられ、

欲しいと言って手に入らなかったことが無い

私が不幸?どこが?と、悔しくも認めざるを得なかったのだ



強さは弱さを思い知らされて得るもの


幼馴染は強い

私も強いとよく言われるけれど、幼馴染には敵わない

比べるものではなくとも、私が幼馴染の育ちでここまで生きられるとは到底思えないからだ

私が付き合う男性はほぼ全員、若くしてイレギュラーな死を経験している人

兄、弟、婚約者、伯父

いずれもベッドの上で、予期されたものではなく、悲惨と絶望の果てだった。

その法則に去年気づいた時に、なんとなく怖くなった



推しを愛でる幼馴染


ダンボールを抱えて、夜22時にノーピンポンで家に来た

実家に友達を入れないので、幼馴染と元旦那さんしか私の家に来たことがない

一緒の推しのペンライトをお揃いで買って、一緒に開けたいから未開封のまま持ってきたそうだ。

思ったよりデケェ


「初めて「愛」を知ったかもしれない」

2年前にオンラインコンサートを見ていて、ノリノリの私が幼馴染を見ると、泣きながらそう言った。

愛を知らない女のこの言葉は、重すぎた

彼女にとっての推しもまた、私と一緒で生きる意味をもたらしてくれたのだろうと察した瞬間だった。

私たちは初めて同じ推しと出会い、人生で求めたものを貰えたのだろう


不幸であればいいわけではない


そこから学び、実践を繰り返すことが必要なのだと思う

人より不足しているものは自分で得るしかなく、どれだけ不公平を嘆いたとしても無駄だ

やるか、やらないか、しか無いのだ

今現在の自分が幸せであるかどうか、

今現在の自分が何を手にしていて、

どれだけそれに感謝できているか

余裕がある時に幸せで感謝できるのは当たり前だ

だけど人は余裕がない時の方が多い

苦難にぶち当たった時に能動的に乗り越えようとできるか被害者意識に捉われてそこに浸ってしまうのか

ここが分かれ道であり、人の真価が問われる時でもある

過去の屈辱や苦難をガソリンにできるかどうか、ということと思う

私のレジリエンス=心の回復力は確かに高い

でもそれは、自分で乗り越えた分と、ずっと隣にいてくれた幼馴染が高めてくれたのだと今は思う

子どもの頃に知った絶望こそが、皮肉にも自分たちを強くさせたのだ、とも

あれ以上のクライシスなんて無いから、まぁラクだよね、だからかいつも呑気よね私たち

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※個人の感想です

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