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音を持った言葉じゃないと伝えられないことが多すぎる:8日目

こんばんは、劇団・少女都市のマガジン『また劇場で会いましょう』も8日目を迎えることができました。

2月末に毎日、日記を書いていた時は、更新のたびに「すごい!〇日連続での更新です!」と褒めてくれるnoteに対して「えっ?まだそれだけしか経ってないの?」と思っていたのですが、『また劇場で会いましょう』では「えっ?もうそんなに経つ?」という感じです。

さて、本日から少女都市のYoutubeチャンネルを開設しました。

正しくは数年前から運用していたものをようやく動かし始めた…という感じです。

動かし始めた理由はいくつかあるのですが、一番は「音を持った言葉じゃないと伝えられないことが多すぎる」と気がついたからです。

去年の夏、『光の祭典』こまばアゴラ劇場公演が終わったあと、わたしはテキストデータであるnoteやTwitterで思いを発信することを続けてきました。当時は新しい物語を書くために一度演劇の上演から離れようと思っていました。そのため、表現の場を劇場から、インターネットにうつしてたのですが(もちろん家で新しい作品を執筆しつつ…)コロナ禍以降、どんなに演劇を劇場で上演したいと思っても困難な状況になってしまいました。

そうなると不思議なもので、「今はタイミングじゃない」と思っていた劇場での公演がとても恋しくなるんですよね。いろいろな劇場のホームページをまわり、「ここでも上演したい」「この劇場もいいなあ」「あの劇場ならこんなふうに舞台美術を組んで…」と空想にふける時間が増えました。

でも、ふと疑問に思いました。どうしてわたしは演劇を恋しがってるんだろう? 自分の物語を伝えたい、そう思ってるわたしが、文字であっても代替可能なはずの「物語」という表現を選んでいるわたしが、なぜ演劇を恋しがっているんだろう?つまり、演劇のどんな部分がわたしを恋しくさせているんだろう?と。

で、考えた末に出てきたことが「音を持った言葉じゃないと伝えられないことが多すぎる」ということです。

演劇は俳優の肉体から発せられたセリフをつかった芸術です。もちろんノンバーバルな演劇もあります。ただ、わたしが選んでいる「物語」という表現には、特にわたしの書くような現実の社会を具体的に反映させた舌鋒鋭い社会派サスペンスには、必ず言葉が必要なのです。

そして演劇において言葉というのは、発する俳優によってニュアンスが変わり、意味が変わります。ひいては、上演される物語がいったいどんなものなのか、その具体さをつくっていく。そんな重要な役割を果たすのが、俳優の肉体から発せられる音を持った言葉なのです。

なんだか小難しいことを書いてしまいましたが、物語をはじめとするわたしの書く文章にとって、人間の声というのが必要不可欠であることに気がついた、ということです。

声や姿かたちをダイレクトに届けられる場所として最適だと思い、Youtubeをはじめることにしました。

それともう一つ。なかなか劇場に足を運ぶのが難しい昨今ですが、Stay Home期間にYoutubeを通して演劇を好きになってくれる人が一人でも増えたら嬉しいなと思ったというのも理由です。
動画作成は初心者なのですが、温かく見守っていただければ嬉しいです。

それでは、明日も皆さんにとって良い日でありますように!

劇団・少女都市 主宰
劇作家 Mary Yoshi (葭本未織)


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