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HOPE

ドラマ「エルピスー希望、あるいは災いー」
これから先、自分の人生の中で、大切にしたいこと、人として生きる姿勢について考えるとき、何度も思い出すことになるんだろう。浅川、岸本、村井、この3人の登場人物に通ずるもの。正しさとは何か、希望とは何かということ。

正しさは人によって形を変える。正義と悪は表裏一体のように、正しさが誰かを救うこともあれば、誰かを苦しめることもある。同じ志を持つものでさえ、浅川と斎藤のように、こうも行動が変わる。最終回でわかったことは、斎藤も彼自身の正しさを貫いてきたということだ。

浅川が言う
「希望って、誰かを信じられるってことなんだね」
「信用を裏切るってさ、その人から希望を奪うってことなんだよ」

普段の生活の中で感じる色んな憤りや怒り、それが視界を狭くする、暗闇の中でただもがくことしかできない、そんな感覚に頭が支配される。他を犠牲にする社会の仕組み、一庶民にはどうすることもできない大きな権力の渦の中で、私たちは身動きすら取ることができず、息をすることで必死になっている。
こんな世の中で、何を希望に生きていけばいいのか、どうやって折り合いをつけていけばいいのか、まやかしの幸せを幸せと思い込んで生きていかないといけないのか。そんな絶望の中でも、希望はある。それが「誰かを信じられるということ」なんだと。

誠実に生きなければ。そう思った。じゃないと、誰も私を信じてくれないし、誰も信じることができない。私にとっては生きづらいこの世界で希望を持って生きていくには、そうするしかないと思った。

岸本が"簡単に"浅川のことを信じられたのは、浅川が一度も岸本の前で嘘をつかなかったからではないだろうか。浅川が常に"向き合う"という姿勢を持ち続けていたからではないだろうか。
浅川のような人間は、私の周りにも中々いない。大抵の人間は他の登場人物と同じように、"今"を続ける、守ることに必死だ。根本的にある問題、目に見えないところで犠牲になっているものを見ようともしない、考えているふりをしている。そして、それが普通だと思っている。全て"仕方がない"で片付けられるのだ。
それらと浅川は真正面から向き合っている。岸本との口論で叫び散らすシーンが数回あるが、「誰かを犠牲にしたくない、誠実でいたい」という切実な想いが伝わってくる。それは、誰にでもあるようなささやかな願いでもある。彼女にとってその願いは、心の真ん中にある一番大切な芯だった。しかし、この願いは、今の社会の中では簡単に打ち砕かれてしまう。だから誰も、願うことさえしなくなってしまったのかもしれない。

こんな世の中でも、希望を見出すことができる。しかもそれは、自分と近しい人間との間で、自分の行いによって見出せる。つまり、自分次第で。そしてその希望は、大きな世界と向き合う力になる。だから、言葉と行動で示すのだ、それが誠実さであると私は思う。

”Elpis ”
古代ギリシャ語で「希望」を意味する。
希望とは、彼ら自身のことだったんだね。
 
わたしの希望の詩。
どんなに最悪なことがあっても、明日はやってくる、
as long as you are here.

Another day comes/Pain money To my Pain


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