人生の縮図ゲーム

「人生ゲーム」をやったことはおありだろうか。

もとを辿れば1960年、アメリカにて発売された「the game of life」というボードゲームをタカラトミーがライセンス契約販売し始めたのがきっかけで日本に広まった(らしい)、あの超有名ゲームである。

時には大富豪に、時には大貧民に化けつつ、人生の機微をかなり大雑把に表現した各マスのイベントに一喜一憂する。

と書いてたらめちゃくちゃ久しぶりにやりたくなってきた人生ゲーム、いまどんな感じなんだろ。今日話すのはその人生ゲームについてではありません。

人生ゲームがモロに人生を題材としたゲームならば、「このゲームの特性って本質的に人生と同じじゃね?つまりこれ、いわば『人生の縮図ゲーム』じゃね?」と思えてならないゲームがある。

そう、「麻雀」である。

麻雀をよくご存じでない方に一応ご説明しよう。プレイヤーは基本4人、手札(手牌)は基本13枚。手札も合わせて計136個の牌の山から順番に1枚引いては1枚捨てを繰り返し、役を作るために形を整えて行く。最初に役を完成させた人が勝ちで、作った役の種類に応じて点数をもらえる。それを繰り返し、最終的な合計点数で順位を競うゲームである。

ほんとざっくり言うとまあそんな感じのゲームなのだが、さてなぜこれが「人生の縮図ゲーム」なのか。

まずもって最大の要因は、このゲームのもつ「一期一会的側面」である。

先ほど「1枚引いては1枚捨てを繰り返し」と書いたが、これは「絶え間なく出会いと別れを繰り返す」ことを強いられていると言ってもよい。「これは最高の出会いだわ、、」ってこともあれば、「あのときあいつと別れなければ、、」ってことももちろんある。もはやあれだ、「もしもあなたと逢えずにいたらわたしは何をしてたでしょうか」っていうテレサテン的なやつだ。

さらに麻雀には、「他のプレイヤーが捨てた牌を自分のものにする」という技がある。これを使うとどうなるのか。

具体的に話そう。自分の左隣を①、向かいを②、右隣を③とし、プレイヤー①が自分の欲しい牌を捨てたとする。これを自分のものにする場合、それ自体が「1枚自分の手札に加えた」とみなされる。そのため、本来は自分の番で山から1枚引いたのち1枚捨てるところを、山から牌を引くことなく1枚捨てることになる。さて、となるとどんなことが起こるか。「本来自分が引くはずであった牌を、自分の次の順番のプレイヤー③が引く」ことになるのである。これっていわば「自分の行いによって、本来出会うはずだった誰かと出会うことがなくなる」ってことじゃね??未来変えちゃってね???いやいやいや、これまじで「人生の縮図」じゃね????

とまあいろいろ書いたが、そんなこと考えなくても、単純に麻雀ってゲームとして恐ろしく完成度高いと思うの。

・自分の手札はさることながら、山に何が残ってるかによってもどんな役を目指すのか変わってくる。山に何が残っているかを推測するためには、他プレイヤーが捨てたものから手札を推測し、そこで使われてなさそうなものをチョイスする必要がある。

・点数を競うゲームとは言っても、どんなに高い役が作れそうでも他プレイヤーに先に挙がられたら0ポイントである。基本的には高い役ほど難易度が高く、出来上がりまで時間がかかるため、スピードと高さの折り合いをつけていく必要がある。

・自分が捨てた牌が他プレイヤーにとって役作りの最後の1ピースだった場合、それでも相手に上がられてしまう。そのため、相手の狙っている役が何なのか、いまどの程度の進捗なのか、何が最後の1ピースなのか、なども推測しながら自分の手を育てる必要がある。

・ゲーム終盤になると、「あと何点あれば逆転できる!!!」といった状況になる。その場合、自分の手札と相談しながら、どうすれば逆転できるだけの点数の役を作れるかをひたすら考え工夫することが必要になる。


などなど、頭を使うことてんこ盛りである。そう書くとなかなかとっつきにくく感じるかもしれないが、逆に初心者ゾーンさえ突破してしまえば、そこから先の沼の深みはまさに底無しである。まるで村上春樹の小説のようにね。

てなわけで総じてやっぱり麻雀って「人生の縮図ゲーム」だと思うのよ。もし少しでも興味が湧いてきた方がいらっしゃればぜひトライしてみて頂きたい。ハマりすぎて人生設計狂わせないように気をつけてね。



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