ギリケンノート3 ”準備すること”が面倒で出来ない

この記事を書いた動機


こんな体験からです。
・予定リストを書き続けられない、段々面倒になっていく
・家計簿がつけられない、始めるために立ち上がるのが辛い
・準備が出来ない、配達で雨が降った時に備えてレインコートを持って行くとかが出来ない。かさばるから。
・失敗することも未来への自己投資だと思っても、今お金にならないとかの理由で挑戦することが出来ない

準備をせずに何かをして痛い目にはあってきたし、逆に他人が準備をしてないと何をしてるんだという怒りや悲しさの感情が起こるのに、自分のことは棚に上げてしまいます。

一生懸命準備をして、それで失敗した場合「こういう失敗をするとこういう反応が起きるのか、ためになった」と準備をしたうえでの失敗なので、納得がいきますが、なにも準備してないで失敗すると、この時間は何だったのかという喪失感と、相手に申し訳ないという罪悪感が生まれてしまうので良くないと思います。

こういったことを修正するために今回はブログテーマ”準備すること”が面倒で出来ないについて書いてみることにしました。

何故準備が面倒に感じるのか


 準備というのは、し始めて軌道に乗れば案外進み始めるものだと思います。例えば、出費が酷くなってしまい、家計簿を付けよう!と意気込んだとします。家計簿をつけるのは領収書を集めたり、エクセルやスプレッドシートに数字を打ち込んだりして最初始めるまでにやることが多く、家計簿付けたところでそんなに効果無いかもしれないしやらなくていいかと断念します。

これが準備が面倒だと感じてやらなくなるまでの思考の一例です。

 しかし、準備することも軌道にさえ乗ってしまえばやり始めることにはなります。

例えば、todoリストを使ったことない人が、予定をすっぽかしてしまったためにtodoリストで予定の日時にスマホに通知が来るようにしようと考えるとします。

しかし、何も起きていない段階ではtodoリストを書くことはかなり難しいと思います。今日は15時に晴れるみたいだから買い物に行こうと朝9時の段階で雨が降っているときに思ったとします。でも、スマホを触ってtodoリストをダウンロードして買い物の予定を書いて、何時に通知が来るように設定してという簡単そうなことも、意外に実行に移せないのです。これは、軌道に乗ってない状態で、逆に言えば使ったことが無い状態です。家計簿と同じで、todoリストを使ったことが無い状態の人は踏み出すのにはかなりのエネルギーが必要なのです。

やったことが無い状態で、準備が面倒に感じる場合の対処法を考える


 準備するという行動は、軌道に乗ることで続けることが出来ると考えている。そしてその軌道に乗るというのは準備したい物事の全体像やゴールまでの道のりが見えることだと定義できると思っています。

 何故かというと、例えば、todoリストを使いたいとして、その上で人と会う予定が発生したとします。その瞬間にtodoリストに書き込むかというと、todoリストをダウンロードもしてない、予定もどういう感じで入れて行けばいいかもわからない、通知機能の便利さも知らないという状態ではまぁ忘れないだろうしいいかという面倒くささが勝ってしまったりすると思います。
 
具体的に、todoリストに買い物の予定を入れたいと考えている例でいうと、朝は雨だけど15時に晴れるから15時に予定を入れようとしても、ダウンロードして何度も使って、買うものも決まっている状態と、ダウンロードもしてない状態で、買うものも決めてなくて、その日買いに行かなくてもいいやと面倒になってる状態なら、todoリストを使う可能性は前者のダウンロード済みで何度も使ったことがあり使い方が分かっている状態の方が高いと思います。

この準備をする気が起きる状態を抽象的に言い換えると”いつでも使える状態にしておく”という言い方が出来そうです
 
頭の中で「準備したいなぁ~」と考えてる状態は、私の頭の中にしまっている状態と言えると思います。では、”いつでも使える状態にしておく”には何が必要なのか、それは私の頭の中から外に見えるように思考をオープンにしてしまうことが必要だと思うのです。そうすれば「準備したいなぁ~」と思ってる頭の中で眠った思考も「誰もが私の頭の中を覗けて、予想やら想像を見られる」という風に変わると思います。これが準備をする気が起きる状態になっているという事です。
 具体的には、ある程度どうしたいかだけ決めたいと思ったら、まずは考えている自分の脳内でとどめず、誰もが見れる状態にしておくということです。書かなければいけない書類は家の中で考えてる場合ではなく、頭の中の思考を外に出かけて、誰でも見れるように外に持ち出して書いてみたり、ネットでいつでも記事を書いてるのが誰かに見られる状態に開放しておくようにしたり、実際に同じ目標を持った人の集まりに参加してしまい、そこで書類を書きレビューが貰えるようにしておくというのが、”準備をする”という行動に移るためのアプローチな気がします。


”準備する”ことへの準備不足が不安になる


 早速方針だけ自分で考えたから集まりに参加してみよう!と行動して、”本当の準備”をしようと思えればそんなに簡単な話はないはずです。

”準備不足”だと思っているから、「準備をしたい(やりたいことを見つけた後、延々と机上で理屈を考える)」と思っているフェーズから動けなくなって、「準備する(準備を人前で見せながらする)」に移れないんだと思います。

 これには2つのポイントがあると思っています。

1、簡単なことからやる
2、自分は実行しない情けない人間だなどのマイナス思考のループをする苦しみより、罵倒されたり怒られたりして傷つく方がましだと思う

1、簡単なことからやる
まず、一つ目は自分のレベルにあったことを選んでやっていくということです。例えば、極端ですがサッカーを本気で趣味にしたいと思っている場合、ある程度自分が本気でサッカーを趣味にしたい理由などを書き出したら、あとはすぐに集まりへ参加してしまうのが「準備したい(サッカーを本気の趣味でやりたい」と思う段階から「準備する(サッカーを本気の趣味にするための準備)」にステップアップに必要なことだと思います。しかし、そういったときに選ぶ集まりはいきなりゲームを始めるような経験者の集まりに行くのではなく、本当の初心者の集まりにいってまずはみんなとボールを蹴りあって意見交換をするくらいで始めるというのが大事なんだと思います。

2、自分は実行しない情けない人間だなどのマイナス思考のループをする苦しみより、実行して罵倒されたり怒られたりして傷つく方がましだと思う

これはかなりシビアな話ですが、必ずしも準備することをしに誰かに見られる状態にしたときに、周りが肯定的に全て受け入れてくれるとは限りません。相手にも都合や性格があるので、噛み合わないこともあります。そういったときに悪口を言われたり、仲間外れにされたりするのを考えると準備不足を余計に怖がって、準備するというフェーズに進めないのです。

しかし、準備不足を指摘されたり、都合や性格が噛み合わないことでトラブルになる怖さに比べて、実行をしないで「こんなに準備している(このnoteでいうところではまだ準備したいと思ってるだけで、自分の方針ややるべきことを延々と挙げたりしている)のに、行動出来ないなんて情けないな」と自分を否定する思考と準備したいと考えている状態をループしてる方がよっぽど自分を痛めつけているのです。

自分の思いは本気だと思って準備をしに行ってるわけですから、迷惑をかけてしまって怒られたり、間違えをして罵倒されたりしても、何が足りないとうまくいかないとか、こういうパターンは避けようとか、実際にやってみるとこういう気持ちになるんだというたくさんの経験値になります。私自身失敗するかもしれないけれど訳も分からず突撃していったものは、気が利かないとか、本気度が足りないとか、相手に損を指せたとかで怒られたりしたことも多いですが、未来に繋がる自己投資になってきたことを覚えています。私自身準備することへの経験値が浅いことによって気を利かしたり、思考をしながらも改善点を俯瞰して見つけるというような能力が低いので、もっと挑戦して行かなければなと思います。

実行は出来ていないのですが、今回まとめて見て改めて準備をするフェーズ(方針と自分の意志は確認して、あとは公開したり集まりに参加してゴールや全体像を掴んでいく段階)に移ることの大切さや移らないことで起きる自分の心をむしばむリスクを言語化出来た気がします。

追記
しかしこれらは、あくまで準備するのが面倒であったり、やる気が出ないときでの話であって、自分が準備していることを公開したりしなくてもちゃんと約束を守るために準備できている時はやる必要はない。準備するのが面倒だと思ったときにやればいいことだ。


その後の課題としては、細部に拘り過ぎて、別の話題に移れなくなることがあります。つまり、大きな目標となる”コミュニケーション能力を高めたい”を掲げたとして、何か会話に関するコミュニティに参加出来て、”準備する”サイクルが軌道に乗り始めたとします。しかしその後、コミュニティに参加し続けるサイクルが心地よくなって、コミュニケーション能力を高めるという大きな目標に必要な別の要素を無視し、ただ軌道に乗ったことで楽な状態を続けてしまうという性質も自分は持っています。それについてどう乗り越えていくか。その点については次回noteで触れて行きたいと思います。


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