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②プロローグ

初めての出産は自分の体でありながら、自分の体がどうなってしまうのかわからない。命がげではあるが、生命の神秘を初めて体感する不思議で貴重な経験である。


思いがけない妊娠からスピード結婚をすませ、
妊娠9ヶ月になったころ、里帰り出産のために私は神奈川の家から両親の待つ神戸へと帰った。

結婚よりも先に妊娠してしまったことを最初は激怒していた両親も、すっかり受け入れてくれるようになり、身重である娘の身体をたいそう気遣ってくれた。


一年前、OLをしながら学校まで通って建築士の資格を取り、自分のこれからのキャリアのことで夢を膨らませていた私が、一年後は小さな命を宿すことになった。

私は予定しなかったこの状況を喜んで受け入れていた。


世の中には子供を保育園に預けて子育てしながら、仕事してる人も多いし。
私もそんな感じになるのかな。


私の赤ちゃん、どんな顔してるのかな。。。

早く会って抱っこしたいな。。。


予定日の3日前、明け方
プツンという音とともに、目が覚めた。

驚くほどの大量出血だ!
どんどんと血があふれる。


いやこれおかしいだろう。


両親共々3人してパニックになり、急遽タクシーで病院へと向かった。

早朝の診察後、出血は少し落ち着きはしたものの微熱があり血圧もかなり高いのでそのまま入院して様子を診てもらうことになった。

通常は130/70くらいだった血圧が、明け方の出血パニックで164/101とぐんと上がったままだったのだ。

入院したまでは良かったのだが1日目は何事もなく、
すぐにでもお産がはじまるかと思って慌てたのにどっかへ行ってしまったようだった。

2日目から周期的にお腹の強い張りと腰の鈍痛が徐々にやってきた。
午前中は生理痛がひどい程度の痛みだったのが午後からそれがガンガン強くなっていく。



わあ。。。。。

もう腰が割れんばかりに苦しい。


3日間も陣痛と戦っていた私がいた。



連絡を聞いて神奈川から駆けつけてくれた夫のヨシが、陣痛の都度腰をさすってくれた。

どうも、微弱陣痛といってお産が進むのが遅いようだ。

あまりにも長引かせると母子共に疲れてしまい危険だという医師の判断で促進剤を打つことになった。


本当は自然に任せたお産がしたかったが安全優先だ。


促進剤のおかげでお産が急激にガンガンとすすんでいった。

そしていよいよ分娩室へと私は運ばれた。


鼻の穴からボーリングのボールが出る感じとは聞いていたがまさしくそんな感じだった。


「えーありえない!無理!」


と思ったがこれはもう流れに委ねるしかなかった。



私の体は一体どうなってしまうのだろう@@


でもこんな狭いところをくぐってくる赤ちゃんの方こそ苦しいのだと思った。


先生が掃除機のようなもので赤ちゃんの頭を吸っていた。


「あー出てきた出てきたもう少し!」

頭が出たら後はつるんと出てきた。


看護婦さんがなにか赤ちゃんにしたあと足元で

「う。うえっ」

と小さな声が聞こえた。


イメージしていた「オギャー」ではなかった。

出てきた赤ちゃんの後ろ姿がちらっと一瞬見えた。



あれ?????


赤ちゃんが。緑色??

してないか???


でもあまりに興奮しすぎていたからか何なのか。。

看護婦さんから「はい。ちょっと楽になるからねーー」と注射を打たれたようだ。



なにか周りが慌ただしく、バタバタしているような感じだった。


それより意識がもうろうとする。

注射のせいかな。

眠らされたようだ。



 分娩室が慌ただしかった事も、注射を打たれた事も、緑の赤ちゃんの意味も後になってわかる。



出産後、赤ちゃんをすぐ私の横に寝かせてくれて、感動の対面!を楽しみにしていたのに、、

眠りから覚めた時、私は個室にいた。

すると父と母とヨシが沈んだ顔をして部屋の隅で並んで座っていた。


楽しみにしていた赤ちゃんとの対面よりも前に3人の沈んだ顔とご対面することになったのだ。

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